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旅行
ソラとその娘(当時7歳)による初めてのヨーロッパ(しかも)個人旅行
『母と娘の超ハードな2週間!!』
(パリ→ドーバー海峡→ロンドン→フランス横断→ニース→モナコ→ミラノ→ベニス→ローマ)
出国までの長い道
イランの夏休みは、学年末テストが終わった学校や学年から始まる。
娘は小学一年生。
あっという間にテストは終わり、
2004年5月下旬、イランでの始めての夏休みが始まった。

日本の学校のように、夏休み中は学校のプールに通うとか、
ラジオ体操に通うといった習慣はない。
そもそも、学校には普通プールはないので水泳の授業もない。
その代わり、あちこちの施設や私立の学校で、
水泳、バスケットボール、バトミントン、英語、ピアノ、習字、絵画
といった短期クラスが開かれ、娘は車で5分ほどの私立小学校で水泳と
バトミントンのクラスを受講、また以前から通っている
英語塾で、週2回午前中の授業が始まった。

夏休みの前半は、そんなことで、娘の送り迎えに時間が費やされ、
それまでほとんど利用したことのなかった流しのタクシーをつかまえる技も習得した!

夏休みが7月に入ると、
同じアパートに住む女の子と仲良く遊ぶようになり、
クラスがない日は、昼頃から夜まで遊ぶ毎日。
でも、イランは昼過ぎからは休息タイム。
外では遊べない。
家の中で遊んだり、衛星テレビでドイツやフランスの漫画を観たり。
夕方になって、やっと外で遊ぶことができるという、
ちょっと子どもにも私にもストレスたまりがちな生活となった。

が、自転車を購入して友達と自転車遊びをするようになると、
もう午前中から外で遊ぶ習慣に、、、、。
子ども達は生き生き!!!
でもそれも、1ヶ月もすると同じアパートの一階の人から、遠まわしの忠告!
そしてしばらくすると「子どもを管理しなさい!声が大きい!」
といった苦情に変わった。
で、再び昼間は家の中に閉じこもる生活に、、、。

8月に入る頃、
こんなことだと、もう夏休みが終わってしまう、、、。
去年移住するときに夫と約束した
「ヨーロッパ旅行がお流れになってしまう、、、」
と不安に、、、。

でも夫は忙しい。
よし、娘と二人で行って来よう!!!
夫に飛行機のチケットを予約してもらい、
1週間後のチケットが取れたとき、
娘は歩道の階段に足をぶつけて捻挫。
病院に連れて行ったら、2週間のギブス生活、、、。
なんていうこと!!!

と急きょ旅行を延期。
そしたら、突然、遠くに住む親戚がテヘランに遊びに来るという。
こちらは、前日とかに電話がかかってきて、
「明日行くからね」と本当に翌日やってくるものなのだ。
そして何週間でも滞在していくので、幸か不幸か、
その親戚達がきたおかげで、ギブスの娘は同年齢の女の子と遊ぶことができて大喜び。

しかし、、、彼らはトルコ語を話す人たち。
ペルシャ語でさえあやふやな私にはけっこう辛い。
ペルシャ語ももちろん話すけれど、みんなとの会話はトルコ語なのだ。
しかもやたらとテンションが高い。
2週間も経つと、神経が参ってきた。く、くるしい、、、、
そして彼らは帰っていった。

さて、旅行の準備。
便利な『地球の歩き方』なんてない。
ネットで行きたい場所をピックアップして、
だいたいのコースを決めた。
テヘラン発パリ着、ローマ発テヘラン着、2週間だ。
イギリスに行くつもりはなくて、この飛行機にしたのだけれど、
ネットで色々調べるうちに、
「ドーバー海峡を船で渡ってみたい、、、」
という若い頃の夢を思い出した。
だったら、ロンドン行きの飛行機にすればよかったんだけど、、、
もう間に合わない。
娘には「ねえ、ロンドンに行って、ピーターパン像に会いたい?
ピーターパンが飛んでた時計塔(ビッグベン)に行ってみたい?
ウェンディの街だよ〜ん。どうする?』
と、娘に最終決定をしてもらうことに、、、。
子どものことだから、「行きたい」って言うのに決まってるんだけど。

そういった娘の後押し(?)も手伝って、
なんとかコースは決まった。
行きたい場所も決まった。
しかし2週間で、
パリ→ドーバー海峡→ロンドン→フランス鉄道横断→
ニース→モナコ→ミラノ→ベニス→ローマ
というコースを回れるのかしら、、、。
あまりにも期間が短かすぎる。
しかも、「地球の歩き方」がないのはやはり辛い。
ホテルの予約もしなければならないし、
しかもゆっくり調べる時間もない。
フランスとかイギリスは子どもの頃の学習も手伝って、
行きたい場所はすぐに決まったけれど、
イタリアについての予備知識は乏しい。
交通機関についても調べる時間もない、、、、。
日本からのツアー日程などをネットでチェックして、
そこから自分が本当に行きたいと思う場所を確認。
そして決まったコースが上記なんだけど、
それでもフィレンチェはコースに含めることが出来なかった、、、残念。


出国の朝
バタバタしているうちに出発の朝。
夫に空港へ送ってもらったが、
この2週間の旅行で、いきなり一番辛い思いをすることになった。
そう、飛行機に乗る前に、もう旅での一番大変さを味わってしまったのだ。

夫によれば、どうも私と娘はイランに一定期間以上滞在しているので、
出国するには空港内でお金を払わねばならないということなのだが、
ペルシャ語がチンプンカンプンの私には無理な話。
でも助け舟である夫を、空港の担当者がどうしても中に入れてくれないのだ。
夫はなんとか、空港で働く若い女性を見つけてきて、私を助けるように依頼し、
彼女に連れられてそれから2時間以上、待ったり走ったりすることになった。

彼女がお金を払う手続きをしようとすると、どうやら何か問題発生。
彼女はあちこち奔走している。
そして私たちを連れて、他の場所へ。
椅子に座って待つこと数十分。
時間は刻々と過ぎていく。
あと30分でフライトだけど、大丈夫かしら、、、。

彼女がきて
「娘さんは何歳ですか。」
「7歳です。」
そして再びどこかへ消える。

しばらくしてもどってきて、
「娘さんは8歳ですよ。」
うわっ!まただ!!!
イランでの年齢の数え方は、未だに私はよく分らない。
日本では確かに7歳の娘が、イランでは8歳になってしまうのだ。
数え年とも違う、「7歳は終わって、8歳になる。だから8歳」
というようだが、それでも「0歳の赤ちゃんは0歳だし、
一才の子どもは一才なのだそうで、いつから一才飛び越してしまうのかしら、、、」
今でも疑問なのだ。

で、とにかく娘はイランでは8歳と言わなければならないらしく、
8歳ということで、「あと5000トマン払ってください。」と言われた。
私自身が払うのは10000トマンだから、全部で15000トマン。
日本円にしたら2000円ちょっとだけれど、イランの物価で考えると、
日本で15000円以上払う感覚だ。
出国するだけで、そんなに払うのか、、、。
手元にイランの貨幣があって助かった、、、。

それでなんとか終わったと思ったら、
すでにチェックイン手続きは終わり、
カウンターの表示板の電気も消えている。
彼女は担当者に怒鳴られたが、
私が大型荷物を持っていなかったこともあり、
手続きを済ませることができた。

そして猛ダッシュ。
身軽なリュックサックだけでよかった。
娘の手をひいて、ダッシュダッシュダッシュ!
職員の彼女も一緒に走る。
階段を登り終えた場所が出国手続きの場所。
すごい人!
出国する人たちが溜まってる。
「パリ行きの飛行機に乗るんです!先に行かせてください」
って言おうかと思ったら、実はみんな、パリ行きの飛行機に乗る人たちだった。
もう、離陸時間は過ぎているのに、どうなっているんだろう。

出国管理官の方たち、
実になんてのんびりと仕事をしているんだろう。
人がたくさんとは言っても、成田空港だったら、
10分もあれば終わりそうな程度だ。
でも、進まない、進まない。
30分、40分、暑くて気持ち悪くなってくる。
そのうち、あちこちで文句や喧嘩が始まった。
「彼ら(彼女たち)出国管理官は、なにやってるの。
なんで、こんなに時間がかかるの。」とか、
列を作ってるとはいっても、一列ではない。
「おれの方がさきだぞ!」と大喧嘩が始まったり、、、、。

でも、私の列の管理官、一人一人のパスポートをゆっくりと
スミからスミまでめくり、何度もパラパラめくりなおし、じーっと眺め、
やーっとスタンプを押す。
結局、わたしの順番が来たときには、ゆうに1時間は経っていた。
つらかった、、、。その間、ずーっと側にいてくれた空港の職員である若い女性、
イランでこんなに一生懸命仕事をしてくれる、
しかも担当の仕事じゃないのに、
ニコニコと最後までつきあってくれる人、初めてだった。

飛行機に乗ったときには、前夜の徹夜も手伝って、もうくったくた。
これから旅が始まるっていうのに、こんなに疲れ果てて大丈夫なのか、、、。
とにかく娘には「ママは寝るから」と言って、爆睡。
時々起きては、隣の席の「パリ在住」というイラン人のおばあさんと話をし、
6時間ほどのフライトでパリへ着陸。
次へ...(パリへ到着)