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のんびりしてるようで、イスラムのお祭りやら親戚づきあいで
忙しいイランの生活。

イランに戻って早や1週間強。家中の埃に気絶しそうになりながら、掃除、
片付け、なんとか一段落。

子供の学校の制服ももらい、24日からいよいよ新学年が始まります!

あ〜、それにしても長い夏休みだった。思えば、5月の下旬から、、、。

日本では日本の夏休みを味わい、学校生活も味わい、充実した3ヶ月強
でした。日本で成長した子供と一緒に新たな生活の開始です。

イランに戻ってきたら、この夏、コレラがはやっていたとのこと。
イラン料理に欠かせない、生で食すハーブ(サブゼホルダン)たちが
店頭から姿を消していて、それも、一段落つくところでした。

さっそく、テヘランの街を夫の車で走り回ったら、折りしも代12代エマーム
のバリアッスルの誕生日、街中が電飾だらけ。(写真)



ある通りの、見事に飾られた電飾の下を走っていたら、反対車線に
入ってきた縦長の観光バスが、電飾をバシバシと切ってしまい立ち往生。
どうみても屋根にひっかかる高さで、そんなところに入ってくるバスもバス、
それでもイランらしいな〜なんて、警察官も出てきて大騒ぎのところ、
ほのぼのしてしまいました。(写真)



そして、さらに発見!

街の数箇所に、大型テレビがドデーンと出現。
おまけに、エスカレーター付きの歩道橋まで!

トップぺージに写真を掲載したので、見てくださいね。
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夏モードが続いているイランだけど、そろそろ秋の気配も感じます。
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夏休みが終わってしまった
2005年8月19日(金) (イラン暦1384年5月28日)
長野の夏休みは短い。
今日から娘の小学校も2学期が始まった。
3週間という短い休みとはいえ、ラジオ体操や学校のプールはお盆前には終了し、
「学校の楽しさ」というものが、なんとなく記憶の中で薄れてきた感じが少なからずした。
だから娘もイランの公園で、毎日友人たちと遊ぶ楽しさを懐かしみ、
「イランに帰るの楽しみだよ」なんていうこともあるくらいだった。

日本滞在予定が1ヶ月を切った。
まだまだ楽しみきれていない、やり残していることがたくさんある、、、。
でも、何をしたいのか、自分でもはっきりわからない。
「イランよりも安いね〜」と衣類の買いだめをしても、懐かしいレストランに家族ででかけ
ても、便利な東京でその交通事情に感嘆しても、緑豊かな日本の田舎でのんびりしてい
ても、なんとなく物足りないのである。
心が満たされない、そんな感じである。

どんなに便利でも、どんなに物にあふれていても、どんなに日本の風景の中に
どっぷりつかっていても、けっきょくは人とのつながりの濃いイランでの生活、たくさんの人々
が集まるイランの公園の風景は、何事にもかえられない大切な存在であると感じる。

だから日本でも、友人たちに会ったときだけ、不思議と心が満たされた気持ちになるので
ある。イランで生活しているうちに、もともと一人好きな私の性格が変わってきたようだ。


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リスは「ワン!」と鳴くそうな
2005年7月3日(日) (イラン暦1384年4月12日)
  日本で滞在する喜びの一つは、興味あるコンサートや舞台、講演会
などに、気軽に参加できること。

今日は、近所の知人に誘われて、熊谷さとし氏の講演会に参加。
熊谷氏は、野生動物を観察するフィールドワーカーとして活躍し、
151冊もの著書を出している。

151冊目の本が、会場で販売されていたので、講演終了後に購入。
題名は、「クマは『クマッ』っとなく?!」、ウソだろう〜と思ったんだけど、
どうやら本当らしい。本当に、その声を耳にしたという話が、著書の中
に記されている。

講演の中で、こんな話もあった。
サルは、「キャッキャッ」と鳴くけれど、本来、機嫌の良いときは「ココ・・・」と鳴く
のだそうだ。
でも、人間との関わりが深くなってから、「キャッキャッ」と鳴くようになったそうだ。
その理由は、確か、人間に対する警戒を表すという話だったと思う。
ということは、サルはいつも機嫌が悪くて、警戒しっぱなしってことか、、、。
(上記、熊谷氏の指摘で、少し文章を訂正しました。「クックッ」と記載したのを、
「ココ・・・」と訂正。そのほか、ちょっとした言い回し。7/9)

そして、リス、、、。以前、娘から「リスはなんて鳴くの〜?」と尋ねられたことが
あるんだけれど、私は答えられなかった。「リスって、鳴くのかな〜?」と、その時
初めて、疑問に思ったのだ。
で、熊谷氏によると、リスは、「ワン」と鳴くのだそうな。
プレーリードッグというリスの仲間、なんで「ドッグ」(犬)がつくかといえば、「ワン」
と犬のようにと鳴くからだそう、、、。
(「プレーディードッグ」と記載したのを、「プレーリードッグ」に訂正しました。7/9)

と、こんな感じで、意外なおもしろい話を披露してくれた。

さて、講演の本題は、生き物たちとの共存。講演を聴いていて感じたのは、「人間もまた
動物の一種であり、たぬきやきつね、はたまた、トカゲや昆虫たちの、隣人にすぎない」
ということ。

でも、「地球にやさしく」とか「環境にやさしく」なんていう、地球の自然環境を壊してきた
人間が今さら言い始めた、歯の浮くような言葉は、決して口にされなかった。
もし、そんな言葉を講演の中で耳にしたら、きっと、「クマは『クマッ』となく?!」は、購入し
なかったと思う。

私たち人間が環境を壊しっぱなしにきてしまったために、どんなに生態系が崩れ、動物達が
迷惑を被っているのか、、、初めて実感できた気がする。

たとえば、新しく道路ができる。道路を照らす明かりを目当てに、カなどの小さい虫が集まる。
その虫を求めて、昆虫たちが集まる。そしてその昆虫をえさにするタヌキなんかが街灯の
下にやってきて、昆虫を食べる。そして走ってきた車に轢かれて死んでしまう、、、。

でも、ある場所では、その道路を照らす街灯を、外向きにつけることによって、動物が車に
轢かれるのを防いでいるという。
「明かりを外向きにつけたら、意味がないじゃないか」と思うけれど、道路わきの灯りという
のは、車のドライバーたちに道路の縁石を示せば良いのだそうで、灯りを道路と反対側の
向きにつけても、その役目ははたせるのだという。
その結果、たぬきたちは、ゆったりと昆虫たちを食べることができるようになった。

何もしらずに、その街灯をみたら、「間違って、取り付けられていますよ」と注意したり、
「行政は、何をバカなことをやってるんだ」と思うのが必然だと思う。
でも、そんな発想の転換が、動物達との共存の一助をしている。

人間の便利さを追求するときに、動物達のことも考える。
私の地元も冬季長野オリンピックをきっかけに、新幹線が走ったり、山にトンネルを
掘って、高速道路を走らせたり、それはそれは便利となった。
でも、山際を走る高速道路建設によって失われたものは、とても大きいに違いない。
それがはっきりと分かるのは、きっともっと何年も経過してからではないかと思う。

それでも、これまでにたくさんの環境を破壊してきて、人間は、たくさんのことを学んできた
はずだ。だから、何が失われるのかを、予測することもある程度は可能に違いない。
さきほどの、街灯の話も含め、そんな気配りの方法を具体的に考えることが、日常になれ
ばいいなと思う。

企業が、商品を開発するために、消費者の意見やアイディアを募るように、
新しく道路やダムを建設するっていうときに、行政が「動物達と共存するための工夫」を
市民から募ったらいいななんて思う。
何の工夫もできそうもなかったら、建設取りやめにするとかね。
それまでになかった便利さを諦めるだけだから、そんな大変ではないはずだもの。


日本は、世界で一番便利な国じゃないかと思う。
私は、それほど便利じゃない国イランへ移住して、2年近く経過した。
イランには、日本ほどではないにしても、思いがけず物が豊富にあって、特に困ること
はない。便利さを抜かせば、日本よりも豊かな生活ができるとも言える。
その便利さだって、なければないで、やっていけてしまうのだ。

イランはそれでも、どんどん便利になってきている。
そして、日本のように、生態系の破壊などの環境の破壊が問題になっていくのだと思う。
でも、いわゆる先進国の二の舞を踏むのは、いくらなんでもアホらしい。

これからは、便利さを取り入れるだけではなくて、たとえばドイツのように、ちょいと不
便でも、環境のことを考えて、それを実行する国が本当の意味での「先進国」であって
ほしいと思う。

ドイツの人々が、どんなに環境のことを考慮した生活をしているか、、、知っているつも
りの方もぜひ、下のページを読んでくださいね、、、。

ここをクリック「ゴミを減らす努力」

日本からイランへお土産をもっていくと、ゴミだらけになって、愕然とします。
包装紙やビニールの包み紙が、なんて多いのだろう!ゴミ箱がいっぱいになって、恥ず
かしさを感じることもあります。

若い頃アルバイトした、お中元ギフトを販売するスーパーの売り場では、メーカーが商品に
つけてきた包装紙を全て除去し、そのスーパーの包装紙に取り替えるという、ゴミの大生産
をやったことがあります。今でも、そのアホらしさは、強烈に胸に残っています。確かに、
そのスーパーの包装紙に取り替えれば、コマーシャルになるけれど、、、だったら、メーカー
に最初から、包装紙をつけないよう言っておけばいいのに、どうせ、毎年のことなんだから、
、、。

紙の生産が押さえられれば、伐採される木も減る。
フィリピンのミンダナオ島では、日本への木材輸出のために山が丸裸になって、土砂崩れ
で被害なんて話を、10年も前にやはり講演会で耳にした。
それ以来、過剰包装されたお菓子なんか、おいしそうでも、延ばしかけた手を引っ込める
ようになった。誘惑に負けることもあるけれど、同じものは2回目はないかな。
全くやめたら寂しいけれど、5回買ううちの3回か4回は諦めるっていうだけでも、何もしな
いよりはマシだと思う。

あ、そうそう、ドイツの話、下のページでぜひ読んでくださいね。

ゴミを減らす努力


最後に、熊谷さとし氏の著書を、少しご紹介します。

 ■クマは「クマッ」となく?!〜おもしろ動物生態学〜 偕成社
          漢字にルビが振ってあるので、小学生にも読めます!

 ■小さな動物学者のための観察ブック  ブロンズ新社
 
 ■クジラも海でおぼれるの?  偕成社

 ☆熊谷氏のウェブページは、
  
      熊谷さとし氏のウェブページ
  ブログが、よく更新されるそうです。

 

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日本で夏!
2005年6月25日(土) (イラン暦1384年5月4日)
  夏休みを数週間ほどイランで過ごし、6月15日のフライトで、
一気に日本へ戻ってまいりました!
毎日、公園で友達と遊ぶ子どもの姿をみながら、なんとなく後ろ髪をひかれ
ながらの帰国でした。

実家のある長野県、2年前の夏に、3ヶ月間過ごした以来の滞在。
そのときの娘の友人達が、遊びに来てくれる。
そして、今週から、小学校にも通い始めた。
通い始めて3日目、なんと音楽会!2日間でなんとかピアニカの練習をし、
「コンドルが飛んでいく」をクラスの子たちと、一緒に演奏することができた。
やさしい友達たちが、休み時間に教えてくれたおかげ。

娘が通い始めた小学校は、私の母校なのだけど、外国人がとても多く、
クラスにも4,5人の外国人の子どもがいる。だから、先生も子どもたちも
外国人に慣れている。日本人だけど日本人ぽくない娘も、すぐに打ち解け、
初日からクラスの子たちと、大騒ぎをしていた。

日本語力で遅れはあるけれど、ひとまず、学校生活を好きになって安心。
この夏、大きく進歩してくれるだろうと、とても楽しみだ。



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夏休み突入 数日前!
2005年5月24日(火) (イラン暦1384年3月3日)
  お、お、おそろしき、夏休み直前!

学年末テスト期間中の今は、一日おきに娘は登校し、テストを一つだけ受けて、
9時半すぎにはもどってくる。明日は休みで、あさって登校したら、もうおしまい。

夏休み突入だ〜!

ということは、今年の夏休みは約3ヵ月半ということか、、、。

ひとまず日本に帰るのは、約3週間後だから、それまでどうやって過ごそうか、、、。

私はいつもと同じで、朝の5時半起床、、、、ができればいいんだけど。
娘は7時起床。
10時ごろまで日本語と英語の勉強して、公園でちょいと遊ぶ。

昼食後は、あついから、家の中でぐだぐだ。あ〜いやだ〜!
昨年の夏休みもそうだったけれど、昼間、家の中でテレビばかり見てることに
なる娘よ〜
ちょいと本でも読んでくれ〜と思うんだけど、、、

そして夕方の5時ごろから8時ごろまで、娘は公園で遊び、
それから、家族でおでかけ、、、、って感じかな。

3週間だけだから、なんとかなるかな。

暑くなってきたせいか、最近は、日本食っぽい料理が食べたくて、
イラン料理はあまり作らない。お土産にもらった、冷凍してある納豆が
最高に美味しい!

日本に帰ったら、母のおむすびと、セブンイレブンのおむすびを食べるのが、
私と娘の楽しみだ。日本のお米、納豆、ラーメン、お寿司、心おきなく食べたい!!!

ところで、先日某ラジオ会社から連絡がきて、イランからの電話で
ラジオに出演!ってことになった。

こんなドキドキ、何年ぶりかな〜。

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子どもの誘拐
2005年5月5日(木) (イラン暦1384年2月15日)
  公園で子どもを遊ばせていると、知らないおばさん達から
「子どもの誘拐があるから、目を離しちゃダメよ。」
とよく忠告される。

繁華街を歩いていたら、「あかあさ〜ん、おかあさ〜ん」と泣きじゃくりながら
自転車で走り回る男の子がいた。
一緒にいた義妹がつぶやいた。
「あんなに騒いでいたら、誘拐されちゃう...」
それで、ちゃんとその子が親らしき人を見つけるまで、見守っていた。

「子どもの誘拐」という言葉をよく耳にする。
ただ、本当に誘拐されたという話を聞いたことはなかった。

2週間ほど前らしい、ペルシャ湾のキッシュ島から飛び立った飛行機
(軍関係の飛行機らしいが、民間人もたくさん乗っていたらしい)
に異常が現れた。
それでもテヘランまで直行し、途中、水が枯れた河に緊急着陸をした
そうだ。
着陸直後、エンジンから火が吹き、乗客たちは窓から逃げたという。
窓を割ったのかどうか、実際には緊急用のドアから逃げたのかは、
分からない。混乱の中、とにかく外へ出なくてはならなかった。

その結果、一人の子どもが死亡し、一人の男の子が行方不明となった。
消えてしまった男の子の年齢は、小学校低学年ぐらいらしい。

飛行機の中も外も、みんなで探したらしいが、見つからなかった。
警察は今、救助のために駆けつけた人々を調べているという。
両親も、新聞に子どもの顔を出して、探している。

なぜ、そんなことが起こるのか、理解ができない。
イランでは、ちょっと物を置き忘れたりすると、紛失してしまう。
置き忘れているものをラッキー!とばかりに拾っていってしまうようだ。

公園に置き忘れた子どもの自転車は、翌朝はもう無くなっていたし、
娘が学校の教室に置き忘れたジャンパーは、数分後、取りに行ったら
すでに無くなっていて、見つからない。たったの数分間のできごとだ。

お祭りのときに、歩道脇に置いてあった衣類を、親類が
「あ〜ら、洋服が落ちていた〜」と拾ってきたので、みんなで
「それは、落ちてたんじゃなくて、置いてあるだけだよ」と
元の場所に戻させたことがある。
落ちているものを、いろいろ拾ってきてしまう人なのだけれど、別に
生活に困っているわけではない。

物と子どもを一緒にするわけにはいかないけれど、混乱の中、
一人になっていた子どもを、落ちていたものを拾うように
連れて行ってしまう感覚とは、どういうものなのか。
事故現場周辺に、たまたまそういう人が住んでいたのか。
自分の子どもにしたいのか、それとも労働力として使いたいのか、
それとも売ってしまうのか、、、。そんなことも、あるのかな。

男の子が、必ずや無事に両親の元へ帰ってくることを祈るばかり。



この飛行機事故では、こんな話も新聞にでていたそうだ。

飛行機の異常を知っていた乗務員たちは、着陸後、
速やかに飛行機から避難したそうだ。自分達だけで。

心の準備もないまま、着陸してエンジンから火を噴いた
飛行機から逃げねばならなかった乗客たちには、だれも
誘導する人もいなかったそうだ。

でも、新聞には出ていたとはいえ、それが大きく取り上げられるわけでも
ないところに、不安を感じる。

そういえば、日本は今日、子どもの日だね。

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イランで楽しむ、ちらし寿司
2005年4月18日(水) (イラン暦1384年1月29日)
  イランに住んでいて、私は何かとパソコンにはまってしまうのだけれど、
友人のスィーマさんは、趣味を楽しんだり、料理を楽しんだりしているらしい。

しばらく前に、日本から短期で遊びにきた夫の友人が、たくさんの
「きざみ海苔」をお土産にしてくれた。
とても嬉しかったのだけれど、料理のデパートリーが少なくて、
なかなか使えないでいた。

そんな時、遊びに来たスィーマさんに、早速、きざみ海苔をほんの少しだけど
おすそ分けしました。

そして数日後、「きざみ海苔でちらし寿司を作ったよ〜!」と、早速スィーマさん
からメールが、、、。

「具は甘辛くした白身魚のフレークと錦糸卵・きゅうり&きざみ海苔
別にすごく特別なものはないけど、でもいい!」

ってコメントもありました。お寿司もお刺身もイランではなかなか食べれない。
でも、ちょっとした工夫で、和食を楽しめるんですね。
そういう私も、普通の海苔が手に入ると、錦糸玉子やきゅうりなんかで、
手巻き寿司を楽しんだりもします。娘が大好きなのです。

↓スィーマさんがつくったちらし寿司の写真です。↓



作り方は、こんな感じ、、、↓
イランに住まれている方、海苔が手に入ったら、ぜひ楽しんでみてね。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
「なんちゃってちらし寿司」
(命名はスィーマさん)

マヒイェ アーザドを醤油と砂糖と水とショウガを煮立たせた中に入れて
火を通した後、骨を取り除きながらほぐしたものを
魚を煮てとろっと煮詰まった煮汁に絡ませるように煎るだけ。

ポイントは生臭み対策:お酒がないのでアッターリで売っている
干したショウガを煮汁に加えてあることかな。

ちなみに今回使った食材でmade in JAPANは
1つだけ、きざみ海苔だけ。醤油は中国産。その他、イラン産。
米もイラン米で作りましたよ。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
寿司飯のお酢もイランので充分ですよ。

と、こんな風に簡単に和風料理を楽しめます。

写真を見てもお分かりいただけると思いますが、スィーマさん、
なかなかセンスが良いのです。

趣味で作ったネンド細工やバラの花なんかの写真を、
「スィーマさんのピザハウス」のページで掲載してますので、
ぜひ訪問してみてくださいね。

スィーマさんの趣味

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話は変わり、これまでイランの年代を間違えて記してきてしまいました。
なんと、300年もずれておりました、、、。
昨年は1683年と記しましたが、1383年の間違えでした。
ちなみに今年は、1384年です。
西暦とイラン暦の両方が記された、分かりやすいダイアリーが手に入ったので、
これからは間違えないと思います。

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またまた話が変わりますが、昨日の、赤面ばなしをちょっと。

昨日、夫が郵便箱のカギのスペアーをつくりに出かけていきました。
ちょうどエレベーターを降りて、門を出たくらいの時間に、
インターフォンが鳴ったのです。

受話器をとると、

「●●すぁ〜ん、に〜ふぉ〜んからぁ、ゆうぶぃんぶ〜つ〜どぅえ〜す」
(●●さん、日本から郵便物です。)

と、それはそれは恐ろしい声で、もごもごと声が聞こえるのです。
日本語に訳すと、上のような雰囲気になります。

私は、またまた夫がふざけてるのだと半ばあきれながら、
ペルシャ語で

「気にするな!行ってしまえ〜!」

と叫んで、がちゃんと受話器を切ったのですが、しばらくして
玄関の呼び鈴が、、、、
ドアを開けると4階の女性がいて、

「下に、郵便屋さんが来てますよ」

呆然と「下に、夫がいるんですけど」

とどうでもいいことをつぶやいたら、再びインターフォンが、、、

夫が「郵便物、もらったから」

夫よ、どこに行っていたのだ、、、、

夫が郵便箱のカギのスペアーを作りにでかけた
抜群のタイミングで、なぜ郵便屋さんが訪れたのだ、、、

とそれが不思議でならない。

郵便屋さんは郵便屋さんで、言葉がうまくしゃべれない
人のようだったと、夫は言っていた。

きっと、傷ついただろうな〜。申し訳ないし、
呆然として、ちゃんと対応できなかった4階の
女性にも恥ずかしい。

なんてクヨクヨしていたら、その女性が
大盛りのアッシュレシテというイランのスープを
もって来てくれた。

そういう時は、私もちゃんと対応できるんですね〜。


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正月休みは疲れるなぁ
2005年4月3日(水) (イラン暦1384年1月14日)
  3月20日、イランの午後4時3分に新年が明けた。
ケルマンシャーのソンゴルへ7時間かけて車ででかけ、
やっと親戚の家に着いた時だった。
みんなでハフトスィーンという、アルファベットの「スィ」が最初に
つく物7個を囲み、テレビをつけて「新年があけました」という言葉を
待っていたが、モスクで祈る人々を流す放送だったのに、そういう
言葉はなくて、気づいたら、すでに新年があけて3分ほど経っていた、、、。
毎年、新年があける時間が違うのも、日本とは違って戸惑う。

一週間ほどの滞在で、川へ魚釣りに出かけたり、公園で雪をかぶった
山々を眺めたり、自然と、テヘランのような排ガスの味がしない、綺麗
な空気を満喫。
テヘランから南西にある町なんだけど、標高が高いせいでとても寒く、
雪が舞った日もあった。

3月25日は、日本対イランのワールドカップアジア予選をテレビ観戦。
私と娘だけが日本の応援。日本が負けると、娘は泣いてしまった。
次の日本でのホーム試合があるからと、説明するのに一苦労。

この試合の直後は、出口にむかった群集と、出口が開かず戻ろうと
する人たちの間で押し合いへし合いとなり、10人ものイラン人が
亡くなったそうだ。
10万人収容と言われているスタジアムに、この日は12万人の観客が
集まったという。
5日後の埼玉のスタジアムでの試合を観たけれど、通路の多い
日本のスタジアムに比べて、イランのスタジアムの通路の少なさも
、危険を増やしているのではないかと思う。

旅行から帰って来てからは、親戚が訪れたり、親戚宅に行ったり、
こっちは夜から訪問が始まるから、毎晩、帰ってくるのは夜の
1時。お客さんが帰るのも1時近く。
すっかり朝寝坊の習慣に。疲れきってしまった、、、。
そんな生活も昨日で終わり、今日から娘も学校が始まった。

そして夫の弟が言った。

「来週は3連休。ショマールへ行こう!!!!!」

あ〜!もう休みはいいから、普通の生活を継続させて欲しい、、、。

が、、、夫も乗り気だ。今回は断れそうもない。

それにしても、イランは、休みが多すぎる!


それでもあたたかい春の気候のせいで、自宅前の公園には
子どもや大人達が集まるようになり、娘は、秋以来、会っていなかった
友達に再会したり、新しい友達を作ったりして、わきあいあいと
遊べるようになった。私も、子どもたちの母親とおしゃべりを楽しん
だり、バトミントンをしたりして、夕方の、ひと時を過ごす。

こういうときに、「あ〜、イランっていいな〜」って心から感じる。

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死に急ぐ人々
2005年3月16日(水) (イラン暦1383年12月26日)
  まもなく、イランの一年が終わる。
新年の前に、一昨年の秋のイラン以来、気になっていた
「死」について、書こうと思う。

思えば、イラン移住前から、親戚に「死」が続いていた。
数ヶ月の間をおいて、2人の男性が亡くなった。
一人は自殺、一人は心臓発作。どちらも50歳ぐらいだった。
年老いた母親をおいて、、、。

自殺した男性は、人生がうまく回らず、やけを起こして自殺してしまった。
でもだれが、あの声の大きいパワー溢れる男性が、自ら死ぬと想像しただろう。
残された息子達4人は、社会人をはじめとし、一番下の子は中学生だった。
息子達は自宅を売り、お店を始めて車も買い、彼らの人生は、
なんとかうまく回り始めたように思えた。

が、、、息子の一人、30歳ぐらいの若者が、数ヶ月前に入院した。
ニヒルで青白い顔をした青年だった。
私はお見舞いに行かなかったのだが、
後で、彼は「大腸がんらしい」という話をきいた。
大腸をすべて取り去り、小腸が大腸の役目を果たしている状態。

お見舞いに行った人が言っていた。

「僕はまだ若いのに、なぜこんなに痛みに耐え、死ななければならないのか、、、」

と彼が泣いていたと、、、。
今、彼は退院し、自宅療養をしている。


そして、もう一人の男性は、心臓発作。
日本へは、出張で来たこともあると、3年前に会ったときに話していた。
髭をはやした、穏やかな男性だった。

イランでは、心臓が突然とまって、死ぬ人が多い。
夫の友人の奥さん達も、自分の夫が突然死ぬんじゃないかと心配している人が多い。
なぜかといえば、その旦那さんたちの父親も、祖父も、おじさんたちも心臓発作で
亡くなったという人が、とても多いから。なぜか男性ばかりが、、、。

数ヶ月前に、こんなニュースがあった。

イラン人は、先天的に心臓が弱い

やはり数ヶ月前に、実家の近所の男性が、休日の朝、仲間とサッカーをやっていて、
突然たおれて亡くなった。心臓が止まってしまったのだ。
とても若かった。20代か30代前半だったらしい。
小さい子どもと、奥さん、そして奥さんのおなかにいる赤ちゃんを残しての、
突然の死であった。


昨年のお正月、私たちは夫の父親の街、ケルマンシャーのソンゴルへ
行った。人口10万人の穏やかな町。メイン通りの両端は、川や山、ブドウ畑、
畑などが続いている。そしてそこで羊の群れたちが一日を過ごす。
私も、そのゆったりとした空間、迫力ある山々、丘にある公園の頂上から、
遠くに連なる山々の頂に沈む太陽を眺め、その平和を満喫した。

が、、、親戚がたくさん住んでいるその町で、一件、悲しみに沈んでいる
親戚があった。
私たちはそろって、その家に出かけていった。
広い居間に人々が座り、亡くなった若者の母親が、時々泣き崩れては、
「なぜ死んでしまったの、、、」と叫び、悲しみにくれている。
父親や兄弟たち男性も、黙り込んで悲しみに耐えている。
姉妹たちは、みんなにお茶を振舞ったりしている。

亡くなった男性は、20歳だったという。
2年間の兵役中であった。
イランでは特別な免除がないかぎり、必ず兵役に出る。

イラン、イラク戦争の頃と違って、今の若者たちの兵役は、
のんびりしたものに見える。
7年ほど前に、初めてイランに滞在したとき、夫の弟がちょうど
兵役の最中であった。
朝6時に起きて、兵役にでかける。そしてお昼にもどってきて、
家で昼食をとる。午後は自由だ。イランは一般的に昼間は
仕事をしないから、若者たちは路地や通りへ出て、ひまそうに
座り込んでいたり、おしゃべりを楽しむ。
泊り込みの役務ももちろんあるようだが、普段はそんな感じだった。

「兵役の頃は良かった。家族を養うとか、人生をどうするとか
考えずにすんで。お金ももらえたし。」

と、半年ぐらい前に、その弟がぼそりと言っていた。


そんな苦しみのない兵役中に、なぜその親戚の
若者は亡くなったのか?

彼は、見張台にいた。確か、夜だったと思う。
そして、うたた寝をしてしまった。
そこへ、上官がやってきて、うたた寝を見つかってしまった。

彼の仲間達は、からかって言った。

「お前は、死刑だよ。」

「銃殺だな。」

冗談がすぎていた。20歳の若者にとって、仲間達のからかいの言葉は
冗談にはならなかった。

悩みぬいた彼は、ピストルで、自分の頭を打ち抜いて死んだ。

あまりにも、ひどいじゃないか、、、。
この平和なイランで、そんな過ちのために、死を選ぶことになるなんて。
彼を死に追いつめた仲間達に腹が立った。

ばか!

大声で叫びたい気持ちだった。


いたたまれない思いで、その家を後にした。



「死」が続く、、、


夫の実家の近所でも、多くの人が亡くなった。
ガン、老衰、コカイン。

コカインで亡くなった男性は、実家の路地ではなく、
2つぐらい隔てた路地に住んでいたらしい。
だから付き合いはなかったのだが、噂は広まった。
注射針を、動脈にさして死んでしまったらしい。

私は、死んだ男性より、そんな男性の妻であり、身篭っていた
女性を哀れに思った。自分の夫がコカインをやり、しかも
死んだ、、、。彼女にとって、その夫の存在は何だったのだろうか。

コカイン、アヘンがはびこっているらしいイラン。
それでも、関わりをもとうとしなければ、たとえ近所に
そんな人がいても、関わらずに暮らしていける。

実家の近所に、水タバコを吸う店が2件ある。
親戚の男性が、実家にくると、水タバコを吸いに、よく
出かける。
でもなぜか、近い店ではなく、遠い店に足を運ぶ。

「どうして、遠いほうの店にいくの?」

あるとき、それに気がついた私は尋ねた。

「近いほうの店には、アヘンをやる人が来ていて
よくないんだ。」

彼はちゃんと自分の世界を守っている。



先日、イスラム教シーア派の悲しい祭り、アシューラーがあった。
この祭りについては、今、まとめている最中なので、詳しいことは
書かないが、このアシューラーでは、多くのイラン人が、イラク
にある聖地キャルバラーへ出かける。そして毎年、そこではテロがおこり、
多くの人々が亡くなる。

一週間ほど前だったか、実家の近所を、夫の弟と一緒に、
買い物しながら歩いていた。

イランでは、男性が亡くなると、似顔絵を、通りに面した壁や
店の窓、車の後ろのガラスに貼り付ける。女性が亡くなった場合は
やらない。
だから、近所で男性が亡くなると、それと知ることができる。
若者、老人、いろいろな人たちがいる。
似顔絵の下には、亡くなった経緯などが書かれているが、
私には理解できないので、想像を馳せる。

そして、弟が一件の店のショーウィンドウに張られていた、
男性の似顔絵を指していった。

「彼は、自分の友達だった。キャルバラーへ行ったんだ。」

私は、てっきりテロにあって亡くなったのかと思った。

が、、、

「砂漠で迷ってしまったんだ。」

以前にもキャルバラーへ行ったことがあるからと、心配せずに
仲間と二人で出かけたらしい。

弟は彼がでかける前日に会い、「お土産はなにがいい?」なんて
聞かれたそうだ。そしてキスをして分かれた。

しかし彼は戻ってこなかった。

砂漠で迷い、アメリカ軍に発見された。

イラクに駐屯しているアメリカ軍に。

同行の仲間は助かったが、弟の友人はすでに亡くなっていたそうだ。
妻と、生まれたばかりの小さい子を残して、、、。

「いつもお祈りをする、まじめでいい男性だった。」

と弟は言っていた。普段お祈りをしない弟が、そんなことを言うのも
意外だった。


この一年、「死」にたくさん出合った。

そして、イランの葬儀はまた、私に「死とは何か」ということを
問い詰める。

夫のもう一人の弟の姑が、病気で昨年亡くなった。
とても年老いて見えたけど、60代だった。

テヘランの墓地は広い。
その広い墓地のあちこちで、葬儀や3回忌などが行われる。
マイクロフォンで亡くなった人たちについて読み上げる声が
まるで競争をしているかのように、響き渡る。

娘や息子達は遺体が埋められた土の上に置かれた花や
お供え物の上につっぷして、泣き叫ぶ。
普段、穏やかな弟の奥さんも、叫び、怒り、体をゆらし、
つっぷし、周りの人々がだきかかえる。

そして、失神したかのように、目をつぶり、倒れそうになる。
失神しているのかもしれない。

私は、子どもの頃から「死」に出会ってこなかった。
初めて「死」に出会ったのは、高校生の時の祖父の死の時だった。

淡々と進められる日本の葬儀。
悲しみに耐え、人前で取り乱さないことが「美」とされる日本の葬儀。

そんな葬儀しか知らなかった私には、イランの葬儀は驚愕そのものであった。

いつも静かな人が、

「私はこれからどうしたらいいの〜!!!」

「なんで死んでしまったの〜!!!」

と叫び、叫び、怒鳴り、暴れる。

肉親の死とは、こんなに悲しいものだったんだ。
私は、初めて分かったような気がした。


私もいつか、この墓地に埋められるのだろうか、

いやだ!!!

強く思った。

日本で?

それもあまり気が進まない。

どこかへ消滅してしまいたい、

体も、遺骨もすべて、消滅できたらいいのに、、、と思う。

テヘランの墓地は、綺麗に舗装された道が縦横左右に走り、
木々が植えられ、とても明るい雰囲気。ピクニックのような
感じで、人々がお茶を飲んだり、持参したスープを食べたり
している。死者と一緒に団欒を楽しんでいるようだ。
それは、すでに死後10年は経っている人たちのお墓の
エリアである。

最近なくなる人たちのエリアは、まだ木々もなく、ただ
墓穴がマンションのように掘られ、一時的にコンクリートで
ふたがされている。死者が入った穴だけに、墓石が
寝そべっている。あとは、誰かが入るのを待っている。

建設中のエリアは、穴が開いたままの墓穴がたくさん並んでいる。
あのコンクリートの中に、入れられる。
布に包まれた状態で、コンクリートの中に入れられる。
土にも帰らず、ただ朽ちていくのか、、、。

ただ、こんな話を聞いて、私はちょっとホッとした。

「イランの墓は、50年くらい経ったら掘り返されて、
新しい墓となる。」

そしたら、消滅するようなものかもしれない。
それもいいかもしれない、、、とふと思った。


来年は、どんな年になるのだろう。

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どうでもいいんだけど、、、
2005年3月5日(土) (イラン暦1383年12月15日)
  どうでもいいんだけど、、、、

久しぶりのブログは、どうでもいい話。
最近、どうも変だ、、、いつもと違う、、、。
こんなこと、箇条書きにしてもしょうがないんだけど、、、

1.キシリトールガムがやめられない、、、!

チューインガムが嫌いで、一年に1つ、それも15秒が限度の私が、
毎日キシリトールガムを食べ続けている。
甘いガムはやはりダメなんだけど、キシリトールガムがやめられない、、、。
ガムを食べなれてない私が、毎日キシリトールガムを食べ続けて
どうなったか...?


あご全体が、筋肉痛になった、、、。


それでもやはり、痛みに耐えながら食べ続ける。
食事のときも、口が思うように開かない、、、。
それでもやっぱり、キシリトールガムがやめられない。


2.二日連続で、溝におちた!

日本じゃ今はほとんどないけれど、
小学生のときに、幅20cm、深さ20cmほどの
小さな溝に片足をつっこんで、手をついた拍子に、
手首にひびが入った。

が、イランの溝は大きい。幅80cmぐらいだろうか、
深さもそのくらいかな。

道路わきに停めた車のドアを開けたら、そこは溝だった。
大きな溝である。でもいつもは、難なく飛び越える。

ところが、、、

右足を反対側に伸ばして渡ったつもりが、なぜか
落ちた、、、。

落ちる瞬間、溝の底に汚そうな水が溜まっているのが見えて
とっさに右足をもちあげて膝をまげたが、左足は
落ちていた、、、。

夫と通行人が、ギョッとしてみたのが分かったが、、、

そこはタダでは起きない私、、、

「綺麗に落ちたから、怪我もしなかったし、洋服も
汚れなかったよ!!!
さすが、若い頃スポーツをやってた体だね!」

溝の中に転げ落ちずにすんで感心してるのは、
それでも落ちた本人だけらしく、

「綺麗に落ちた、、、???」

夫には綺麗に落ちるのも下手に落ちるのも区別が
つかないようだ。
ただでさえ目立つ外国人が、車から出た拍子に
溝に落ちてる姿を見た通行人にも、そんなこと分からなかった
だろうな〜。

が、普段できることが突然できなくなる、、、年のせいか?


翌日、再び溝に落ちた。

そして気づいた。
買ったばかりの、くるぶしが隠れるぐらいのロングスカート。
ちょっとすそは広がってるけど、タイトスカートみたいなものだ。
溝を飛び越えようとした瞬間、ほんの少し伸びたスカートの
生地が、ゴムのように縮んで、延ばした右足を押し戻す
感覚があった。溝の端をかすりながら、再び溝におちた。

今回も、綺麗におちた、、、と、自分だけは思っている。
怪我もないし、衣類も無事。

年のせいではなくて、買ったばかりのスカートのせいで
あることに気づいて、ちょっと安心。

3度目はなかった。3度目、溝を飛び越えるときは、
そのときは幅が1mぐらいあったので、反対側から
夫に手を引っ張ってもらって、両足で一度にピョーン
と飛び越えた。

「頭、使ったでしょ〜」

なんて、また感心してたのは私だけなんだけど、
これで落ちてたら、ただのバカだった、、、。


夫の実家で、義母にこの話をしたら、すそに切り込みを
いれてあげると、今にもハサミでジョキジョキしそうな
勢いだったので、

「3回落ちたら、おねがいするね」

と、3回目はないことを願って、断っておいた。


イランは、もうすぐお正月。春が近づきポカポカとした
陽気が続く。

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テヘランのインターネット事情
2005年2月8日(火) (イラン暦1383年11月20日)
  雪が降ったら使えない!?

ここ数日、テヘランの北部では雪が降り続き、小、中学校はたびたび休みになる。
まだ2,3日、降り続くようだ。今朝は休校になって意気揚々とした娘に起こされ、
公園で特大雪だるまを作って遊んだ。誰もいなかった公園に、少しずつ子どもや大人が
現れ始め、知らない男の子と一緒に作り上げた。雪はさらさらとしていて固まりづらい。
一時間はかかった。

そんな楽しい雪も、インターネットをする私にとっては、天敵であることが分かった。
私はいろいろなインターネットプロバイダーのカードを購入しては、
あれは良いとか、良く無いとか比較しているのだけれど、最近分かったこと、

「雪が降るとデータの送受信ができなくなる!」

一ヶ月契約で使い放題(電話料は別だけど)の会社も、10時間のカードでいざという時の ために備えてある会社も、接続はできてもメールの送受信やネットを見ることができなくなる。 サーバーがダメになってしまうらしい。 今朝 夫は、「アンテナの雪をちゃんと払ってください!!!」と、sa-bisuwo teikyousuru に電話していた。 各プロバイダーが契約している元のアンテナ(大きなお皿みたいなやつ)に雪がつもると ダメになるというのだ、、、。 そして、午前中はそれでも問題なかったのが、午後になったら、どの会社に接続しても メールの送受信もウェブサイトを見ることもできなくなってしまった、、、、。 イランでは、ADSLなどの便利なサービスもあるのだけれど、料金は日本の2,3倍。 物価が日本の7〜8分の一のイランで、それはないでしょって感じ。 だから今のところ、ダイヤルアップ接続で、カードを購入しては使う。 プロバイダー会社はどのくらいあるのだろう。テヘランだけでも20社ぐらいが競争してい るように見える。それだけ、各家庭、各会社にコンピューターが普及しているということだろう。 後日談 あれから数日、雪は降り続くけれど、ネットの調子はとてもよい。 雪かきのおかげかしら、、、?
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イラクとイランがシーア派国になる?
2005年1月31日(月) (イラン暦1383年11月12日)
  「国民議会選挙が投票され、
イラク政治の主導権がイスラム教スンニ派から
多数派のシーア派に初めて移るのは確実」
というニュースを読んで、「ゲッ!アメリカの
矛先がイランに向けられるぞ!」と思った人は
少なくないだろう。
すでにブッシュは今年はイランに圧力をかける
と言ってる。
昨夜も、夫とこんな会話をした。
夫:「いつでも逃げれるように、パスポートとか
用意しておかなくちゃね。私は、いいけど、
○○(私)と○○(娘)は、すぐに出れるようにね。
私:「それもそうだけど、『はい、逃げて』と言われて
逃げるものかな。何かあったら、ショマールに
みんなで行こうよ。」
ショマールとは、イランの北部、カスピ海沿岸地方。
緑が豊富な避暑地でもある。日本で言ったら、
「軽井沢」って感じかな。
夫は、長男だし、母親もいるし、国外へ逃げる
わけには行かないだろうけれど、私だって、
夫や親戚おいて、自分だけ逃げる気にはなれない
よな〜。でも娘が小さいしね。でも私と娘がい
なければ、その分、夫の車にもいっぱい人が乗れるし、
いないほうがいいかもね、、、。とかぶつぶつ考
えていた。いざとなったら、娘にとって、一番いい
方法を選ぶしかないね。となったら、やっぱ国外
脱出か、、、。

さて、イラクの選挙の話だけれど、
イラクは、過半数以上がシーア派にも関わらず、
イラクの南部に主に住むシーア派住民たちは
政治の舞台からは除外されてきたという。
それが、今、過半数以上を占めるシーア派が
政権を握ろうとしている。それが自然な流れだ
ろうな。

一方、イランは世界で唯一、イスラム教のシーア
派国として存在する、珍しい国。イランにとっては、
となりのイラクが、シーア派が政権を握る国になる
ことは色々な面で嬉しいことだと思うけれど、中東
に、政治的に大きな力をもつ国ができることを恐
れるアメリカにとっては、嬉しい話ではないと思う。
イランは、ハイハイとアメリカの言いなりになる国
ではないから。

もうすぐ、シーア派の祭り「アシュラー祭」が始まる。
昨年は、最終日に、イラクのキャルバラーで、テロ
があり、訪れていたイラン人も含めたくさんの人々
がなくなった。キャルバラーは、アシュラー祭に
由縁のある地。ケルマンシャー地方からは、自動車
で気軽に入れる場所。
私も、テロのあったしばらく後に「今度、一緒に行っ
て見る?」って、ケルマンシャー州に住む親戚から
軽く言われた。「いやいや、私はいいですよ。」
と断ったけれど、イランの人たち、気軽にお参り
に行ってほしくない。
このアシュラー祭で「キャルバラーに行く」って
言う人がいたら、「今年は、昨年よりテロの確率
が高いから、やめて!!!」と止めてあげましょう。
イラン人のことだから「いや〜、大丈夫、大丈夫」
という答えが返ってくるだろうけれど、命がかかって
るのだから、「この日本人、変だぞ」と思われても
いいから、ぜひ止めましょうね。

アシュラー祭については、「クローアップ!イラン」
をご覧ください。
「クローアップ!イラン」

このニュースを読んだのは、下記のメルマガです。
海外に住んでいると、なかなか日本語でニュースを
読みませんよね。しかも外国語じゃよくわからない。
このメルマガは、平日の毎日、ニュースを届けて
くれてお勧めです。

『忙しいあなたの代わりに新聞読みます』

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雪合戦、雪だるま!子どもに戻った冬
2005年1月23日(土) (イラン暦1383年11月4日)
12月初めのエルブルズ山脈
  この冬、テヘランでは雪がよく降る。
11月にはテヘラン北側にそびえるエルブルズ山脈は
白くそまり、12月には我が家の辺りでも雪がちらついた。
イランのトルコ地方では、早々に大雪で、まるで北海道
のような映像が、11月下旬からニュースで流されていた。
冬至がすぎると、テヘランでも10cmぐらい雪がつもる
ようになった。
2週間前だったか、午後から雪が降り出し、夜には家の
前の公園が真っ白になった。
そして人々が公園に集まってきた。
私たち家族も3人で夜の7時過ぎから外に出て、なんと、
何年ぶりだろう、雪合戦をしたり、雪だるまを作ったり
子どもに帰った。
テヘランの雪景色
8時前には家に戻ったのだが、
ふと窓から公園を見ると、公園が人だらけ、、、、。
さすが、公園好きなイラン人と思ったのだが、
9時になると、いつの間にか霧が出ていて、
公園の明かりがボーっと浮かんでいるだけになった。

そして、今朝も起きてみると、公園には雪が
つもり、外は真っ白。
大人になってからは、雪なんて、道路をぐちゃぐちゃ
にする、面倒くさい存在にしか思えなかったのが、
この冬は、子どもの頃のように楽しませてくれる
嬉しい存在になった。
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もし彼女がイランで生まれ育っていたら?
2005年1月8日(土) (イラン暦1383年10月19日)
  一昨日、こんなことを考えていた。

「もし彼女がイランで生まれ育っていたら、 どんな人生を送っていたのだろうか、、、」と。

彼女というのは、私が大学4年生だったときに、 友人を介して知り合った、

「サッカー観戦に人生をささげる」

一歳、年下の女性。 彼女は10代の後半に、「天皇杯」で優勝した高校のある選手に惚れ、 それから約15年、その選手が進学した大学のサッカー部の応援、 そして彼が進んだプロチームの応援、日本代表の応援と、 日本全国、走り回ってきた。 そして時々、友人達と日本国内や海外旅行などまで楽しんでいる。 彼女とはここ数年会っていないけれど、いつも元気でみんなを 楽しませてくれる独特のユーモア、時々思い出してはニタッとしている。   その彼女が、もしイランで生まれ育ち、 そして好きな選手ができたとする。 今のようにハツラツと人生を送ることが出来たのだろうか。 そもそも、彼女は自分で働いてサッカー観戦の費用を生み出している。 イランで生まれていたら、女性の就業場所の少ない環境では難しかっただろう。 そして、何よりも

「女性は、サッカースタジアムに入れない!」

という壁を乗り越えることはできなかった、、、、。   だから、とてもしみじみと思う。

「環境によって、その人の人生は変わるのだ」

と。恐らく、イランで生まれていても、彼女は彼女らしく生き生きと 人生を送ったに違いない。でも、、、ふと思う。 もしかしたら、煮えきれない人生を送ったんじゃないかなって。

と、そんなことを考えていた翌日、彼女を引き合わせた大学時代の友人から メールが届いた。

「3月25日に、ワールドカップの予選がイランであるんだよ!」

と。 そして、その友人の仕事仲間が、取材で来るつもりでいるらしい。 さらに私の友人もイラン行きを誘われているらしいんだけど、迷っているようだ。 私はさっそく

「女性は、スタジアムに入れないんだよ」

とメールを打った。ところが、日本のサッカー協会が 「女性が(イランの)スタジアムに入る場合はできるだけ黒い服装で、、、云々」 といった注意事項を布告しているという。もしかして入れるのかな? いずれにせよ、友人の仕事仲間も、友人本人も、プレスとしてなんとか入ること は可能なようだと睨んでいる。

  友人の仕事仲間の女性は、やはり世界中、日本代表チームを追っているらしい。 そして私の友人は、スポーツ関連の雑誌の編集、ライターをしながら、個人で大学 サッカーを取材し続け、毎年、専門カタログを仲間と作成している。

「彼女達がイランにくるんだ」

なんて話をしたら、イランの親戚達はびっくりするだろう。
みんな、女性なんだもの。
やはり、彼女達がイランで生まれていたら、
今のような人生ではなかったはずだ。 しみじみしてしまう。

ところでさらに翌日、今日になるのだけれど、イギリスの大学で研究を続けていた友人から

「博士号を取得できた!」

という、突然、いん石がおっこちて来たような知らせが届いた。 彼女は、私が通っていた大学の短大部に入り、最初の一年間、寮の同じ部屋で生活した。 彼女にとってその短大部はあまりにも理想とかけ離れていたようだ。

「こんなはずではなかった!」

と。 同じように「こんなはずではなかった!」と思いつつ、自然な流れにまかせて生きてきた私 とは、ちがう人生を歩んできた。そして、その悔しさをバネにして生き続けてきた。 短大卒業後は、同じ学部に残り、助手として4年ぐらい仕事をしていた。 その後、別の大学の3年生に編入し卒業。 さてどうするのかと思ったら、イギリスに飛び出していった。 私が結婚して数年以内の話である。 それから早いもので8年ほどの年月が経った。   彼女は「博士号を取って満足」する人ではない、たぶん。 日本に戻ってくるのだろうけれど、これからも生き生きと生き続けるだろう。 彼女のすごいところは、研究や論文、学生の世話、接待などで忙しい間を縫って、世界中 あちこち旅行をしていることだ。時間の使い方がすばらしく上手だと思う。   以前、こんなことを言っていた彼女の友人がいた。 「家のそばに来たついでに○○ちゃん(彼女)に電話して 『ドライブに行こう!』って誘っても、『レポートを書いてるから、 一時間待って!』って言われるんだよね。 いつもそういう感じなんだよ。」と。 「ドライブに行こう」なんて誘われたら、「わーい!」と すぐに家を飛び出していた、その頃の私とは大違い。 自分を大事にし、そして友達のことも大事にする○○ちゃん なのだ。   この、彼女の友人の言葉は私の胸に今でも鮮烈に行き続けている。 周りに合わせるだけの人生ではなくて、自分を大事にする生き方。 自分を大事に出来る人が、友人のことも大事にできるのかなと最近、思う。 その彼女がもしイランで生まれ育っていたら、やはり外国に飛び出して行っただろうな。

  10代後半、20代前半に知り合い、私に少なからずパワーと刺激、 生き方について影響を与えてきた友人たちを、イランにいながらしみじみと懐かしむ今日この頃。 全員のことを書けなかったのが残念。

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2005年元旦のプレミアム!?
2005年1月1日(土) (イラン暦1383年10月12日)
  謹賀新年!!!
昨日は2004年の大晦日。一年の、というよりも一週間の疲れを取るために、
ゴロゴロしてしまった。
イランでは休日の朝や昼間はデパート系、バザールなどが開いてないので、
休日といったら、公園とか山へハイキングが定番。疲れてる時は、家にいる
のが一番となる。ついでに、ウェブページ公開は2004年の大晦日よりも、
2005年元旦のプレミアムウェブページのほうがいいじゃなか!と、一人で納得して
しまった。
しかし、さーって、公開となると、出て来る、出て来る、治さなければならない箇所が。
それでもなんとか、公開に漕ぎ着けました。それでは、今年から、よろしくお願いいたします。

もうすぐ西暦2004年が終わる、、、
2004年12月30日(木) (イラン暦1383年10月10日)
  明日は大晦日。
ここイランでは、全くそんな雰囲気はない。
イランでは、春分の日に新年が明ける。
日本から受信している様々なメルマガ、昨日あたりから、ピタッと減って、
今日は1件しか来ていなかった。
「年末年始は、神奈川の実家に帰省します!」(by ホテキン)とか、
「これで、本年のメルマガ発行は最後です!」(by ストロング)とか、
いろいろな表現があるんだけれど、日本からのメルマガとかメールを読んで、なんとか

「年末なんだな〜、年越し蕎麦とか、除夜の鐘とか懐かしい。あ〜お雑煮〜、 香りまでしてきそう、、、。三つ葉の入ったお雑煮のにおいだわ〜!!!

なんて郷愁に浸りながら、「年内にウェブページを公開する」目標は挫折し つつある。 明日は金曜日、イランの週末だ。パソコンやる時間が、ほとんど取れない。 が、最後まで踏ん張るぞ〜。 上で書いた「ホテキン」とか「ストロング」とは、私が楽しみにしているメルマガの一つ、 じゃなくて、二つの、発行者さんです。
ホテキンさんは、まだ23歳ぐらいだったと思うんだけど、 ネットビジネスを楽しく、そしてしっかり成功しながら歩んでいる、「時の申し子」といった感じ。

ネットビジネス、特にアフィリエイト

に興味のある方は、ぜひ彼のメルマガを受信して、 メラメラ燃えてください。

ホテキンさんのウェブページはこちら

http://www.a-mix.com/aqua-mix/



ストロング様は、

「子どもの成績を伸ばしたい親」

にお勧めのメルマガを発行している、 おじさまです。
イランに住んでいるせいもあって、ストロング様が言うようには、 勉強を進められなかったりするけれど、自分流にアレンジしたりしながら、 ストロング効果を莫大に受けています。 ペルシャ語、日本語、英語、ついでにコーランの授業ではアラビア語まで習っている娘、 勉強をしてもしても時間が足りない。
しかし、ストロング効果のおかげで、
「効率よく、短時間で勉強」を少しずつだけど実現にしつつあります。
子どもに

「勉強しなさい!!!」

って怒鳴るのに疲れた方、必見ですよ。

ストロング様のメルマガのバックナンバーは、こちらから。
成績がイイ子の親だけが知っている!新「勉強の常識」


イランの野菜「トロプチェおしん」って何?
2004年12月27日(月) (イラン暦1383年10月7日)
  先日、日本や中国の食材などが売られているバザールで買い物をし、 久しぶりに大根の葉の入った味噌汁を飲んだ。嬉しいことに、夫も娘も味噌汁が大好き! イランで一般に売られている大根は小さくて葉もついてない。 おまけにイラン人はあまり食べないそうだ。 料理の仕方が分らないから、サラダぐらいで、煮込み料理には使わないという。(by夫の母) 一方、カブの種類は豊富にあって、煮て食べることが多い。カブは、ペルシャ語で「トロプチェ」という。 この、日本人が大好きな「大根」、以前はイランにはなかったそうだ。 20年ぐらい前だろうか、アジア全体で大ブレークしたドラマ「おしん」で、
「おしんがいっつも食べているのは、いったい何?おいしそう〜!!!」
と、イラン人の好奇心を刺激した大根。 おしんのドラマをきっかけに、イランに入ってきたのだそうだ。 そして大根は、
「トロプチェおしん」
と名づけられた。意味は「おしんのカブ」。正確には「トロプチェィェおしん」だが、省略して発音する。 しかし、ドラマで人々の好奇心を刺激したにも関わらず、イランの生活には溶け込んでいない。 甘めのカブに比べて辛味のある大根は、イラン人の口には合わないのではないかと思う。 ところで、   おしんの人気は健在? 6,7年前に初めてイランを訪れたとき、道ですれ違う人のほぼ100%にジロジロと見られ、 「ジャポニー(日本人)ってささやく声が聞こえてきたり、そのころ人気だった、 中国人の扮装をしてるのに、なぜか「たかし」という名前の人物が出てくる お笑い番組にあやかって、節付きで「たかし〜たかし〜」と叫ばれたりした。 そしてやは
「おしん〜!」
と叫ぶ若者やこどもたち。 イラン人によれば、日本人はみんな「おしん」と同じ顔をしているのだそうな。 ところが、それから3年後、そして一年ごとにイランを訪れたが、次第に外国人を 珍しがる傾向は少なくなってきて、駐在で増えてきた中国人や韓国人とごっちゃ になって、「おしん〜」と叫ばれることはなくなってきた。代わりに、聴こえるか聴 こえないかの小さな声で、「おしん?」とつぶやかれたり、「中国人?それとも日 本人?」って聞かれるほうが多い。おしんの話題が出ることは滅多にないし。 それでも一人で道を歩いていると「ジャポニー(日本人)」とか「チニー(中国人)」、 「アフガニー(アフガニスタン人)」と叫ばれたり、話しかけられたりして、一時期、 外出するのが面倒くさくて家に閉じこもったりもした。今はもう慣れた。 無視、無視、無視。それが一番。
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イランでクリスマス!サンタさんは来るの?
2004年12月26日(日) (イラン暦1383年10月6日)


  昨年のクリスマス、イランで始めてのクリスマスは、娘に 「ここはイスラムの国だから、サンタさんは来ないの、残念だね。」 と話し、日本のようにクリスマスムードを味わえないことを娘と残念がった。   ...が、今年はクリスマスのしばらく前から、 「今年はサンタさん、来るかもよ。何が欲しいかお願いしておきなよ。」 と話しておいた。   クリスマスイブは、休日だった。 なかなかプレゼントを用意できない。昼間は家族3人でドライブ。 夜は妹家族と、再びドライブ。 お店にはクリスマスツリーが飾ってあったり、販売されていたり。 夜には、レストランの呼び込みで、サンタさんに扮している人まで見かけた。 私にとっては、以外や以外の光景。
イスラム法を国教とするイランで、クリスマス、しかもサンタが出現?
  確かにイランはイスラムの国だけれど、キリスト教も認可宗教の一つな のである。 「よーっし!明日の朝は無理だけど、明後日の朝は、 サンタさんのプレゼントで喜ぶ娘の顔を見よう!」 と燃えた。   何となく、クリスマスを祝うのは勇気のいることだと思っていた。 外でもサンタが出現するくらいなら、家の中ぐらい、グリーンや赤でクリスマスの 雰囲気を味わえる装飾にしておけばよかった、、、が、もうおそい。 クリスマスと言えば、やはりクリスマスイブ。
  25日の夜

夫:「明日はイランにもサンタさんが来るみたいだよ。」
娘:「え〜!ほんとう?みんなの所に来るの?」
私:「みんなのところじゃないよ。イスラム教の人たちは、
    『お願いをすればサンタさんが来る』
    って知らないから、お願いしないもの。」
娘:「イランに住んでる日本人の友達のところにも来る?」
私:「『イランにもサンタさんが来る』って知ってれば、
    お願いして来てもらえるだろうけど、お願いしなかったら来ないと思うよ。
    だから、友達にはサンタさんが来ても「来た」って言わないようにね。」
娘:「うん。じゃ、パパも子どものとき、サンタさんにプレゼントもらった?」
私:「いや、パパだってイスラム教だもの、サンタさんのことは知らなかったんだよ。ね、」
夫:「そうなんだよ。だから、もらったことないよ。」
娘:「サンタさん、どうやって来るのかな。そりに乗ってくるんだよね。」
夫:「そうそう、馬が引っ張って来るんだよ。羽の生えた馬」
私と娘:「え〜!うま〜!?トナカイだよ。
    やっぱりパパは、サンタさんのこと、ほんとに知らないんだね。(妙に納得)

  26日の朝
娘:「パパー!パパー!サンタさんが来たよ〜!ほんとに来たよ〜!」
    長細い大きな箱を抱えて、娘が自分の部屋から飛び出してきた。
夫:「....(爆睡中、、、)」
私:「(洗面所から)え〜!よかったね!何もらったの〜?」
娘:「なんで、サンタさん、私が欲しい物、知ってたんだろうね。

    わたし、自分でも欲しいってこと忘れてたのに、、、」
  娘がサンタさんからもらったのは、鍵盤が26個ついた小さすぎず、 なんとかピアノ代わりに使えそうなキーボード。 イランへ移住する前の3ヶ月間、娘は毎日ピアノを習って、子どもの赤いバイエルの終わり まで弾けるようになった。イランでもオルガンとか電子ピアノを買って練習しようと、ピアノ の練習本まで持ってきたのに、イランでやたらと高い電子ピアノとか大きなキーボードを見 たら、ついに買う気を失せてしまった。娘も欲しい欲しいと言いながらも、すっかり諦めて しまったのだ。
  が、そこはサンタさん。そんなに練習したいなら、そんな高い物を買わなくたって、 小さいキーボードがあるじゃないか、、、、。そうだ、早く気づけば良かった。   娘はお昼の12時に帰ってくる。 昼食と勉強を済ませたら、早速ピアノの本を出してくるだろう。楽しみ、たのしみ。
  後日談 学校から帰って来た娘が言った。 あのね、○○○ちゃんにもサンタクロースが来たんだって。」 日本で、クリスチャンでなくてもサンタクロースにプレゼントをもらうように、 イランでも実は、サンタクロースにプレゼントをもらう子ども達は意外と多いのかな? いや、少ないかもしれないけれど、いるようだ。 意外な話しに夫と目をパチクリしてしまった。

日本人は、ミミズやゴキブリを食べるんだって?
2004年12月23日(木) (イラン暦1383年10月3日)
  英語塾のスクールバスで、娘を可愛がってくれる中学生ぐらいのお姉 ちゃんに尋ねられたそうだ。 「日本人は、ミミズやゴキブリを食べるんだって?」 英語塾から帰宅した娘は、 「もう、恥ずかしかったよ、わたし。そんなの、食べるわけないじゃんね〜。」 スクールバスの中で相当、恥ずかしい思いをしたようだ。 でも、そんなものは食べないと名誉挽回もしたそうだ。   どこから「ミミズを食べる」なんて話しが出るのか想像もつかないけれど、 「ゴキブリを食べる」という誤解は原因を考えられる。 「中国人はゴキブリを食べる」と、半信半疑ながらも信じている 日本人がいるように、中国文化と日本文化をごっちゃまぜにして考えてるイラン人が、「日 本人はゴキブリを食べる」と思い込んだのだろう。 ちなみに、

中国人だって、ゴキブリなんか食べるわけないじゃない!!!

  以前、日本のテレビに中国人コックさんが出ていて、 「日本人は、中国人がゴキブリを食べると思っていますね。 ゴキブリじゃなくて、ゲンゴロウを食べるんですよ。 中国では、ゲンゴロウのことを、『水ゴキブリ』って言うんで、 それで、誤解されてしまうんでしょうね、、、」

なんてことを話していた。   ゲンゴロウは、子どもの時に田舎でよく見かけた。 雨上がりの水たまりに出現する、カブトムシから角を取ったみたいな虫だ。 ゴキブリに似てないでもないけど、名前が悪すぎるね、中国名。   後日談:12月30日記

昨日、娘の部屋で勉強を見ていると、ふと勉強机の棚の上に並べられたマスコットの 一つを指差して、娘が言った。 「あの男の人ね、すっごく悪い人なんだよ。日本のテレビでやっていたの。山でね、動物を 捕まえて、手でちぎって食べちゃうんだよ。それにね、タバコとミミズをサンドイッチにして 食べちゃうんだよ。」 「へッ!? 変な人だね。」 「それにね、云々、、、、」とそのマスコットの悪口が続く、、、、。 見れば学ランみたいな洋服に金髪、片目だけが髪の隙間から出ている。 しかも目つきが悪い。ちなみにそれは、日本にいたとき、ガチャガチャで取ったマスコットだ。
娘が言う。 「名前はね、『ドレス』って言うの。』 「ドレス!?変な名前だね。そんなに悪い人の名前が『ドレス』なの?   (私の頭の中で、疑問符が舞う。そんなテレビやってたっけ...?) あっ!そっか! 「ねえ、もしかして、『ワンピース』のことじゃない?」 「あっ!!!そうそう、『ワンピース』だよ。わたし今、なんて言ってた?」 「『ドレス』。洋服じゃないんだからね〜、」 父親似だ〜!!! 私の夫については、メルマガのページでちょっと書いたけれど、 「掃除洗濯」がごっちゃになって、仕事で電話した日本人に、 「掃除して、掃除して」と真面目な顔で話していた、すごい人だ。 本当は「選択して」って言いたかったのだ。 .......話がそれてしまった...。それからふと私は気づいた!!! 「そういえば、この間、英語塾のバスで『日本人はミミズを食べるんだって?』って聞かれたでしょ。 もしかして、衛星放送で見たのかもね。」 「あ〜ッ!そっか。そうかもね。」
母子二人、「日本人はミミズを食べる」という不思議な誤解の原因を、ヒョンなことから見 つけたのだった。本当にこれが誤解の原因かは分らないけれど、二人してすっきりした 気持ちになった。 「ワンピース」は、確かドイツの「MANGA」とか「TELETOON」という、アニメばかりが、 しかも日本のアニメがたくさん流される衛星放送でやっていた。 私はワンピースの残酷な描写が嫌いなので、日本にいた時も見せないようにしてい たんだけれど、いつの間にか娘は見ていたのだろう。 ちなみに、その衛星放送では、「ポケモン」「メゾン一刻(漢字が違うかな)」 「ドラゴンボール」「タイムボカーン」、それからタイトルは度忘れしてしまったけれど、 20年ぐらい前に流行った「南」っていう名の女の子が出てくるアニメとか、懐かしいアニメが 多く放送されている。 しかし夏休み中に娘が衛星放送にはまってうんざりしたのと、テレビを見てる時間がほとん どないこと、私自身が、テレビを見るのが嫌いなことから、休み明けに引越ししてからは、 衛星放送はセットしていない。 ところで、イランでは衛星放送は禁止されている。でも一般家庭のほとんどでは衛生放送 を見ているようだ。両手でやっと抱え切れるくらいの大きなアンテナを、屋上やベランダに 置いてあるのが、当たり前の風景となった。だが、夜になると、突然 映りが悪くなることがある。 衛星放送の電波をカットするため、テヘランのあちこちに「電波カット用アンテナ」がたてられて いるのだ。我が家からも建物の上に、高くそびえたアンテナが見える。 以前住んでた家からも見えて、階下の住人が「あそこにアンテナがあるから、映りが悪いんだ よね」なんて言っていたのを思い出す。 しかし、なぜかドバイのチャンネルの、やたらスケベな番組ははっきりと映るので、「スケベ 番組を妨害して欲しい」と熱烈に願っている。娘がたまたま観てしまったら大変だ。 私もたまたま見てしまって、驚きのあまり、つい見入ってしまった。(反省) 電波カットアンテナはどのくらいあるか知らないけれど、「妊婦への影響」を危惧した医者 などのシンポジウムが、この夏だったか春だったかにあったという話を聞いた。電波だら けの日本に比べたらまだマシかもしれないけれど、私が妊娠したら、日本から電磁波カッ トのエプロンを取り寄せねばと思っている。長い後日談になってしまった、、、。
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イランには、自動車や爪きりはあるの?
2004年12月21日(火)(イラン暦1383年10月1日)
  日本にいたとき、夫がよくぼやいていた。 「日本人は、外国のことほんと知らないよな〜。」と。親しくなった日本人には、 必ずと言っていいほど
「イランには、カキある?」 「イランには、ほうれんそうある?」 「イランには、水道ある?」 「イランには、みかんある?」 「イランには、イランには、、、、がある?」
と日本に来てからこんな質問ばかり。
「あるに決まってるじゃないか〜。なんでもあるよ〜! 日本人は、自分の国だけのものだと思ってるんだ〜」
イラン人だけじゃなく、外国人ならだれでも経験してるだろう。

もう、うんざりだ〜

と。そして今は、わたしが、イランで経験している。

「日本には、みかんある?」 「日本には、ほうれんそうある?」 「日本にはカブある?」 「日本には、紅茶ある?」 「日本には、日本には、、、、がある?」

と。

「あるに決まってるじゃないか〜。なんでもあるよ〜! イラン人は、外国のこと、ほんと何も知らないんだから〜!」

今度は私がぼやく番なのである。   さてさて、数年前に、イランに滞在した時のこと、流しのタクシーを拾おうと、道路わきに 立っていたら、

お〜ッ!日本人!日本人!

と日本語で叫ぶ男性のタクシーが目の前で 止まった。

早速乗り込むと、運転手さんは助手席に座った夫におしゃべり攻撃。 下町の交通渋滞の中、スピードは出せないけれど、
通行人がしょっちゅう道を渡ってきたり、 2車線なのに3車線、しかもごちゃごちゃとしていて、
いつ接触事故を起こしてもおかしくない 環境というのに、
左手でハンドルをさばき、右手は夫の肩に乗せ、
顔まで夫に向け、目 だけきょろきょろ、夫を見たり、前方を見たり、
後ろの私を見たり、とにかく落ちつかない、 大興奮の運転手さん。おしゃべりが止まらない。 「わたしも、日本に住んでたことあるんですよ〜!」 「働いていた会社の社長が、彼の娘さんと結婚したらと持ちかけてくれたけど、イランに戻ってきち ゃいました。」 「日本人は、いい人が多いね。やさしいし。」 「でも、バカな面もあるんだよね。会社で飲み会とかがあると、こんな質問ばっかり」

『イランには、、、がある?」

ってね。面倒くさくなって、こう答えておいたよ。 日本人社長及び社員一同:「イランには、歯ブラシあるの?」 イラン人の運転手さん:「いや、ないよ。指を入れて磨くんだ!」 日本人社長及び社員一同:「へ〜ッ!!!」「ところで、イランでは雨は降るの?」 イラン人の運転手さん:「降るけどね、下から降ってくるんだ!」 日本人社長及び社員一同:「へ〜ッ!!!」 (多分、アルコールが入っていたのだろう。そんなわけないでしょ!) 「で、イランには、車はあるの?」 イラン人の運転手さん:「ないよ。みんな、ラクダに乗って、出かけるんだ。」 日本人社長及び社員一同:「へ〜ッ!!!」「イランには、水道はあるの?」 イラン人の運転手さん:「ないよ。雨の水を溜めておくんだ。」 日本人社長及び社員一同:「へ〜ッ!!!」「イランには、爪切りはあるの?」 イラン人の運転手さん:「ないよ。」 日本人社長及び社員一同:「じゃ、爪がのびたらどうするの?」 イラン人の運転手さん:「しょうがないから、爪をゴリゴリ噛んで切り取るんだよ。」 日本人社長及び社員一同:「へ〜ッ!!!」 よくもまあ、こんな嘘をつけたものだと思うのだが、今でも社長と社員一同様は、こんな話 を信じているのだろうか。
わたしも、イラン人の夫と結婚する前だったら、「爪きりは ない」とか「車はない」とか信じたかもしれない。イランと言えば、「砂漠とラクダ」のイメー ジだったもの。 こんな嘘をつけるほど、開き直ってしまった運転手さんや、素直に信じる社長さんたちに、 あきれるやら感心しながら、なんとか無事に目的地に着いたのであった。そして、大興奮 中の運転手さんと夫は、肩をバシバシ叩きあいながら、別れを惜しんだのであった。
話は変わるが、、日本人が「自分だけの文化」と思い勝ちな「折り紙」。 飛行機の中で折っていたら、後ろにいたイラン人男性、なんと見事な「アコーディオン」を折 りあげた。伸び縮みする、ミニチュアアコーディオン。正直、感動した。今でも保存してある。 夫によれば、イランでも折り紙をするのだそうだ。ただ、日本独特の「美しい折り紙」はない のだけれど、、、。以前、アメリカのサイトでも折り紙の紹介を見たことがある。 実はいろんな国にあるのかもしれない。
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ウェブページを公開したい
2004年12月12日(イラン暦1383年9月22日)
  ウェブページの公開に向けて、頭を混乱させながら、せぺせぺとタグを打 ち込んでいる。思いっきりドカーンと出せば、、、って思うのだけれど、やればやるほど、 はまっていく、、、。   ウェブページを作成したのは始めて。 車の運転をすると、いきなり人が変ったようになる女性のように、ウェブページというのも、 顔が見えない分、自分ではない自分、いや潜在的な自分が表面に現れてくるような気がする。   今日中に公開できるかしら、、、?日本時間は午後10時10分。 あと2時間しかない、、、でもイランはあと7時間半ぐらいある。
時差は5時間半。
日記を書いてる暇はないぞ。 でも書かないと公開する意味もないし、、、。
ここまで、読んでくれてありがとう!ホームへ戻りたい?押してね...
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イランの夏休みもやーっと終わる!夏休みが終わってしまった!リスは「ワン!」と鳴くそうな!日本で夏!夏休み突入 数日前!子どもの誘拐イランで楽しむ、ちらし寿司正月休みは疲れるなぁ死に急ぐ人々、、、どうでもいいんだけど、、、テヘランのインターネット事情イラクとイランがシーア派国になる?雪合戦、雪だるま!子どもに戻った冬もし彼女がイランで生まれ育っていたら?イランの野菜「トロプチェおしん」て何?イランでクリスマス!サンタさんは来るの?日本人はミミズやゴキブリを食べるんだって?イランには自動車や爪切りはあるの?

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