イランに戻って早や1週間強。家中の埃に気絶しそうになりながら、掃除、 片付け、なんとか一段落。 子供の学校の制服ももらい、24日からいよいよ新学年が始まります! あ〜、それにしても長い夏休みだった。思えば、5月の下旬から、、、。 日本では日本の夏休みを味わい、学校生活も味わい、充実した3ヶ月強 でした。日本で成長した子供と一緒に新たな生活の開始です。 イランに戻ってきたら、この夏、コレラがはやっていたとのこと。 イラン料理に欠かせない、生で食すハーブ(サブゼホルダン)たちが 店頭から姿を消していて、それも、一段落つくところでした。 さっそく、テヘランの街を夫の車で走り回ったら、折りしも代12代エマーム のバリアッスルの誕生日、街中が電飾だらけ。(写真)ホームへ戻りたい?押してね... 長野の夏休みは短い。 今日から娘の小学校も2学期が始まった。 3週間という短い休みとはいえ、ラジオ体操や学校のプールはお盆前には終了し、 「学校の楽しさ」というものが、なんとなく記憶の中で薄れてきた感じが少なからずした。 だから娘もイランの公園で、毎日友人たちと遊ぶ楽しさを懐かしみ、 「イランに帰るの楽しみだよ」なんていうこともあるくらいだった。 日本滞在予定が1ヶ月を切った。 まだまだ楽しみきれていない、やり残していることがたくさんある、、、。 でも、何をしたいのか、自分でもはっきりわからない。 「イランよりも安いね〜」と衣類の買いだめをしても、懐かしいレストランに家族ででかけ ても、便利な東京でその交通事情に感嘆しても、緑豊かな日本の田舎でのんびりしてい ても、なんとなく物足りないのである。 心が満たされない、そんな感じである。 どんなに便利でも、どんなに物にあふれていても、どんなに日本の風景の中に どっぷりつかっていても、けっきょくは人とのつながりの濃いイランでの生活、たくさんの人々 が集まるイランの公園の風景は、何事にもかえられない大切な存在であると感じる。 だから日本でも、友人たちに会ったときだけ、不思議と心が満たされた気持ちになるので ある。イランで生活しているうちに、もともと一人好きな私の性格が変わってきたようだ。ホームへ戻りたい?押してね... 日本で滞在する喜びの一つは、興味あるコンサートや舞台、講演会 などに、気軽に参加できること。 今日は、近所の知人に誘われて、熊谷さとし氏の講演会に参加。 熊谷氏は、野生動物を観察するフィールドワーカーとして活躍し、 151冊もの著書を出している。 151冊目の本が、会場で販売されていたので、講演終了後に購入。 題名は、「クマは『クマッ』っとなく?!」、ウソだろう〜と思ったんだけど、 どうやら本当らしい。本当に、その声を耳にしたという話が、著書の中 に記されている。 講演の中で、こんな話もあった。 サルは、「キャッキャッ」と鳴くけれど、本来、機嫌の良いときは「ココ・・・」と鳴く のだそうだ。 でも、人間との関わりが深くなってから、「キャッキャッ」と鳴くようになったそうだ。 その理由は、確か、人間に対する警戒を表すという話だったと思う。 ということは、サルはいつも機嫌が悪くて、警戒しっぱなしってことか、、、。 (上記、熊谷氏の指摘で、少し文章を訂正しました。「クックッ」と記載したのを、 「ココ・・・」と訂正。そのほか、ちょっとした言い回し。7/9) そして、リス、、、。以前、娘から「リスはなんて鳴くの〜?」と尋ねられたことが あるんだけれど、私は答えられなかった。「リスって、鳴くのかな〜?」と、その時 初めて、疑問に思ったのだ。 で、熊谷氏によると、リスは、「ワン」と鳴くのだそうな。 プレーリードッグというリスの仲間、なんで「ドッグ」(犬)がつくかといえば、「ワン」 と犬のようにと鳴くからだそう、、、。 (「プレーディードッグ」と記載したのを、「プレーリードッグ」に訂正しました。7/9) と、こんな感じで、意外なおもしろい話を披露してくれた。 さて、講演の本題は、生き物たちとの共存。講演を聴いていて感じたのは、「人間もまた 動物の一種であり、たぬきやきつね、はたまた、トカゲや昆虫たちの、隣人にすぎない」 ということ。 でも、「地球にやさしく」とか「環境にやさしく」なんていう、地球の自然環境を壊してきた 人間が今さら言い始めた、歯の浮くような言葉は、決して口にされなかった。 もし、そんな言葉を講演の中で耳にしたら、きっと、「クマは『クマッ』となく?!」は、購入し なかったと思う。 私たち人間が環境を壊しっぱなしにきてしまったために、どんなに生態系が崩れ、動物達が 迷惑を被っているのか、、、初めて実感できた気がする。 たとえば、新しく道路ができる。道路を照らす明かりを目当てに、カなどの小さい虫が集まる。 その虫を求めて、昆虫たちが集まる。そしてその昆虫をえさにするタヌキなんかが街灯の 下にやってきて、昆虫を食べる。そして走ってきた車に轢かれて死んでしまう、、、。 でも、ある場所では、その道路を照らす街灯を、外向きにつけることによって、動物が車に 轢かれるのを防いでいるという。 「明かりを外向きにつけたら、意味がないじゃないか」と思うけれど、道路わきの灯りという のは、車のドライバーたちに道路の縁石を示せば良いのだそうで、灯りを道路と反対側の 向きにつけても、その役目ははたせるのだという。 その結果、たぬきたちは、ゆったりと昆虫たちを食べることができるようになった。 何もしらずに、その街灯をみたら、「間違って、取り付けられていますよ」と注意したり、 「行政は、何をバカなことをやってるんだ」と思うのが必然だと思う。 でも、そんな発想の転換が、動物達との共存の一助をしている。 人間の便利さを追求するときに、動物達のことも考える。 私の地元も冬季長野オリンピックをきっかけに、新幹線が走ったり、山にトンネルを 掘って、高速道路を走らせたり、それはそれは便利となった。 でも、山際を走る高速道路建設によって失われたものは、とても大きいに違いない。 それがはっきりと分かるのは、きっともっと何年も経過してからではないかと思う。 それでも、これまでにたくさんの環境を破壊してきて、人間は、たくさんのことを学んできた はずだ。だから、何が失われるのかを、予測することもある程度は可能に違いない。 さきほどの、街灯の話も含め、そんな気配りの方法を具体的に考えることが、日常になれ ばいいなと思う。 企業が、商品を開発するために、消費者の意見やアイディアを募るように、 新しく道路やダムを建設するっていうときに、行政が「動物達と共存するための工夫」を 市民から募ったらいいななんて思う。 何の工夫もできそうもなかったら、建設取りやめにするとかね。 それまでになかった便利さを諦めるだけだから、そんな大変ではないはずだもの。 日本は、世界で一番便利な国じゃないかと思う。 私は、それほど便利じゃない国イランへ移住して、2年近く経過した。 イランには、日本ほどではないにしても、思いがけず物が豊富にあって、特に困ること はない。便利さを抜かせば、日本よりも豊かな生活ができるとも言える。 その便利さだって、なければないで、やっていけてしまうのだ。 イランはそれでも、どんどん便利になってきている。 そして、日本のように、生態系の破壊などの環境の破壊が問題になっていくのだと思う。 でも、いわゆる先進国の二の舞を踏むのは、いくらなんでもアホらしい。 これからは、便利さを取り入れるだけではなくて、たとえばドイツのように、ちょいと不 便でも、環境のことを考えて、それを実行する国が本当の意味での「先進国」であって ほしいと思う。 ドイツの人々が、どんなに環境のことを考慮した生活をしているか、、、知っているつも りの方もぜひ、下のページを読んでくださいね、、、。 ここをクリック「ゴミを減らす努力」 日本からイランへお土産をもっていくと、ゴミだらけになって、愕然とします。 包装紙やビニールの包み紙が、なんて多いのだろう!ゴミ箱がいっぱいになって、恥ず かしさを感じることもあります。 若い頃アルバイトした、お中元ギフトを販売するスーパーの売り場では、メーカーが商品に つけてきた包装紙を全て除去し、そのスーパーの包装紙に取り替えるという、ゴミの大生産 をやったことがあります。今でも、そのアホらしさは、強烈に胸に残っています。確かに、 そのスーパーの包装紙に取り替えれば、コマーシャルになるけれど、、、だったら、メーカー に最初から、包装紙をつけないよう言っておけばいいのに、どうせ、毎年のことなんだから、 、、。 紙の生産が押さえられれば、伐採される木も減る。 フィリピンのミンダナオ島では、日本への木材輸出のために山が丸裸になって、土砂崩れ で被害なんて話を、10年も前にやはり講演会で耳にした。 それ以来、過剰包装されたお菓子なんか、おいしそうでも、延ばしかけた手を引っ込める ようになった。誘惑に負けることもあるけれど、同じものは2回目はないかな。 全くやめたら寂しいけれど、5回買ううちの3回か4回は諦めるっていうだけでも、何もしな いよりはマシだと思う。 あ、そうそう、ドイツの話、下のページでぜひ読んでくださいね。 ゴミを減らす努力 最後に、熊谷さとし氏の著書を、少しご紹介します。 ■クマは「クマッ」となく?!〜おもしろ動物生態学〜 偕成社 漢字にルビが振ってあるので、小学生にも読めます! ■小さな動物学者のための観察ブック ブロンズ新社 ■クジラも海でおぼれるの? 偕成社 ☆熊谷氏のウェブページは、 熊谷さとし氏のウェブページ ブログが、よく更新されるそうです。ホームへ戻りたい?押してね... 夏休みを数週間ほどイランで過ごし、6月15日のフライトで、 一気に日本へ戻ってまいりました! 毎日、公園で友達と遊ぶ子どもの姿をみながら、なんとなく後ろ髪をひかれ ながらの帰国でした。 実家のある長野県、2年前の夏に、3ヶ月間過ごした以来の滞在。 そのときの娘の友人達が、遊びに来てくれる。 そして、今週から、小学校にも通い始めた。 通い始めて3日目、なんと音楽会!2日間でなんとかピアニカの練習をし、 「コンドルが飛んでいく」をクラスの子たちと、一緒に演奏することができた。 やさしい友達たちが、休み時間に教えてくれたおかげ。 娘が通い始めた小学校は、私の母校なのだけど、外国人がとても多く、 クラスにも4,5人の外国人の子どもがいる。だから、先生も子どもたちも 外国人に慣れている。日本人だけど日本人ぽくない娘も、すぐに打ち解け、 初日からクラスの子たちと、大騒ぎをしていた。 日本語力で遅れはあるけれど、ひとまず、学校生活を好きになって安心。 この夏、大きく進歩してくれるだろうと、とても楽しみだ。ホームへ戻りたい?押してね... お、お、おそろしき、夏休み直前! 学年末テスト期間中の今は、一日おきに娘は登校し、テストを一つだけ受けて、 9時半すぎにはもどってくる。明日は休みで、あさって登校したら、もうおしまい。 夏休み突入だ〜! ということは、今年の夏休みは約3ヵ月半ということか、、、。 ひとまず日本に帰るのは、約3週間後だから、それまでどうやって過ごそうか、、、。 私はいつもと同じで、朝の5時半起床、、、、ができればいいんだけど。 娘は7時起床。 10時ごろまで日本語と英語の勉強して、公園でちょいと遊ぶ。 昼食後は、あついから、家の中でぐだぐだ。あ〜いやだ〜! 昨年の夏休みもそうだったけれど、昼間、家の中でテレビばかり見てることに なる娘よ〜 ちょいと本でも読んでくれ〜と思うんだけど、、、 そして夕方の5時ごろから8時ごろまで、娘は公園で遊び、 それから、家族でおでかけ、、、、って感じかな。 3週間だけだから、なんとかなるかな。 暑くなってきたせいか、最近は、日本食っぽい料理が食べたくて、 イラン料理はあまり作らない。お土産にもらった、冷凍してある納豆が 最高に美味しい! 日本に帰ったら、母のおむすびと、セブンイレブンのおむすびを食べるのが、 私と娘の楽しみだ。日本のお米、納豆、ラーメン、お寿司、心おきなく食べたい!!! ところで、先日某ラジオ会社から連絡がきて、イランからの電話で ラジオに出演!ってことになった。 こんなドキドキ、何年ぶりかな〜。ホームへ戻りたい?押してね... 公園で子どもを遊ばせていると、知らないおばさん達から 「子どもの誘拐があるから、目を離しちゃダメよ。」 とよく忠告される。 繁華街を歩いていたら、「あかあさ〜ん、おかあさ〜ん」と泣きじゃくりながら 自転車で走り回る男の子がいた。 一緒にいた義妹がつぶやいた。 「あんなに騒いでいたら、誘拐されちゃう...」 それで、ちゃんとその子が親らしき人を見つけるまで、見守っていた。 「子どもの誘拐」という言葉をよく耳にする。 ただ、本当に誘拐されたという話を聞いたことはなかった。 2週間ほど前らしい、ペルシャ湾のキッシュ島から飛び立った飛行機 (軍関係の飛行機らしいが、民間人もたくさん乗っていたらしい) に異常が現れた。 それでもテヘランまで直行し、途中、水が枯れた河に緊急着陸をした そうだ。 着陸直後、エンジンから火が吹き、乗客たちは窓から逃げたという。 窓を割ったのかどうか、実際には緊急用のドアから逃げたのかは、 分からない。混乱の中、とにかく外へ出なくてはならなかった。 その結果、一人の子どもが死亡し、一人の男の子が行方不明となった。 消えてしまった男の子の年齢は、小学校低学年ぐらいらしい。 飛行機の中も外も、みんなで探したらしいが、見つからなかった。 警察は今、救助のために駆けつけた人々を調べているという。 両親も、新聞に子どもの顔を出して、探している。 なぜ、そんなことが起こるのか、理解ができない。 イランでは、ちょっと物を置き忘れたりすると、紛失してしまう。 置き忘れているものをラッキー!とばかりに拾っていってしまうようだ。 公園に置き忘れた子どもの自転車は、翌朝はもう無くなっていたし、 娘が学校の教室に置き忘れたジャンパーは、数分後、取りに行ったら すでに無くなっていて、見つからない。たったの数分間のできごとだ。 お祭りのときに、歩道脇に置いてあった衣類を、親類が 「あ〜ら、洋服が落ちていた〜」と拾ってきたので、みんなで 「それは、落ちてたんじゃなくて、置いてあるだけだよ」と 元の場所に戻させたことがある。 落ちているものを、いろいろ拾ってきてしまう人なのだけれど、別に 生活に困っているわけではない。 物と子どもを一緒にするわけにはいかないけれど、混乱の中、 一人になっていた子どもを、落ちていたものを拾うように 連れて行ってしまう感覚とは、どういうものなのか。 事故現場周辺に、たまたまそういう人が住んでいたのか。 自分の子どもにしたいのか、それとも労働力として使いたいのか、 それとも売ってしまうのか、、、。そんなことも、あるのかな。 男の子が、必ずや無事に両親の元へ帰ってくることを祈るばかり。 この飛行機事故では、こんな話も新聞にでていたそうだ。 飛行機の異常を知っていた乗務員たちは、着陸後、 速やかに飛行機から避難したそうだ。自分達だけで。 心の準備もないまま、着陸してエンジンから火を噴いた 飛行機から逃げねばならなかった乗客たちには、だれも 誘導する人もいなかったそうだ。 でも、新聞には出ていたとはいえ、それが大きく取り上げられるわけでも ないところに、不安を感じる。 そういえば、日本は今日、子どもの日だね。ホームへ戻りたい?押してね... イランに住んでいて、私は何かとパソコンにはまってしまうのだけれど、 友人のスィーマさんは、趣味を楽しんだり、料理を楽しんだりしているらしい。 しばらく前に、日本から短期で遊びにきた夫の友人が、たくさんの 「きざみ海苔」をお土産にしてくれた。 とても嬉しかったのだけれど、料理のデパートリーが少なくて、 なかなか使えないでいた。 そんな時、遊びに来たスィーマさんに、早速、きざみ海苔をほんの少しだけど おすそ分けしました。 そして数日後、「きざみ海苔でちらし寿司を作ったよ〜!」と、早速スィーマさん からメールが、、、。 「具は甘辛くした白身魚のフレークと錦糸卵・きゅうり&きざみ海苔 別にすごく特別なものはないけど、でもいい!」 ってコメントもありました。お寿司もお刺身もイランではなかなか食べれない。 でも、ちょっとした工夫で、和食を楽しめるんですね。 そういう私も、普通の海苔が手に入ると、錦糸玉子やきゅうりなんかで、 手巻き寿司を楽しんだりもします。娘が大好きなのです。 ↓スィーマさんがつくったちらし寿司の写真です。↓ホームへ戻りたい?押してね... 3月20日、イランの午後4時3分に新年が明けた。 ケルマンシャーのソンゴルへ7時間かけて車ででかけ、 やっと親戚の家に着いた時だった。 みんなでハフトスィーンという、アルファベットの「スィ」が最初に つく物7個を囲み、テレビをつけて「新年があけました」という言葉を 待っていたが、モスクで祈る人々を流す放送だったのに、そういう 言葉はなくて、気づいたら、すでに新年があけて3分ほど経っていた、、、。 毎年、新年があける時間が違うのも、日本とは違って戸惑う。 一週間ほどの滞在で、川へ魚釣りに出かけたり、公園で雪をかぶった 山々を眺めたり、自然と、テヘランのような排ガスの味がしない、綺麗 な空気を満喫。 テヘランから南西にある町なんだけど、標高が高いせいでとても寒く、 雪が舞った日もあった。 3月25日は、日本対イランのワールドカップアジア予選をテレビ観戦。 私と娘だけが日本の応援。日本が負けると、娘は泣いてしまった。 次の日本でのホーム試合があるからと、説明するのに一苦労。 この試合の直後は、出口にむかった群集と、出口が開かず戻ろうと する人たちの間で押し合いへし合いとなり、10人ものイラン人が 亡くなったそうだ。 10万人収容と言われているスタジアムに、この日は12万人の観客が 集まったという。 5日後の埼玉のスタジアムでの試合を観たけれど、通路の多い 日本のスタジアムに比べて、イランのスタジアムの通路の少なさも 、危険を増やしているのではないかと思う。 旅行から帰って来てからは、親戚が訪れたり、親戚宅に行ったり、 こっちは夜から訪問が始まるから、毎晩、帰ってくるのは夜の 1時。お客さんが帰るのも1時近く。 すっかり朝寝坊の習慣に。疲れきってしまった、、、。 そんな生活も昨日で終わり、今日から娘も学校が始まった。 そして夫の弟が言った。 「来週は3連休。ショマールへ行こう!!!!!」 あ〜!もう休みはいいから、普通の生活を継続させて欲しい、、、。 が、、、夫も乗り気だ。今回は断れそうもない。 それにしても、イランは、休みが多すぎる! それでもあたたかい春の気候のせいで、自宅前の公園には 子どもや大人達が集まるようになり、娘は、秋以来、会っていなかった 友達に再会したり、新しい友達を作ったりして、わきあいあいと 遊べるようになった。私も、子どもたちの母親とおしゃべりを楽しん だり、バトミントンをしたりして、夕方の、ひと時を過ごす。 こういうときに、「あ〜、イランっていいな〜」って心から感じる。ホームへ戻りたい?押してね... まもなく、イランの一年が終わる。 新年の前に、一昨年の秋のイラン以来、気になっていた 「死」について、書こうと思う。 思えば、イラン移住前から、親戚に「死」が続いていた。 数ヶ月の間をおいて、2人の男性が亡くなった。 一人は自殺、一人は心臓発作。どちらも50歳ぐらいだった。 年老いた母親をおいて、、、。 自殺した男性は、人生がうまく回らず、やけを起こして自殺してしまった。 でもだれが、あの声の大きいパワー溢れる男性が、自ら死ぬと想像しただろう。 残された息子達4人は、社会人をはじめとし、一番下の子は中学生だった。 息子達は自宅を売り、お店を始めて車も買い、彼らの人生は、 なんとかうまく回り始めたように思えた。 が、、、息子の一人、30歳ぐらいの若者が、数ヶ月前に入院した。 ニヒルで青白い顔をした青年だった。 私はお見舞いに行かなかったのだが、 後で、彼は「大腸がんらしい」という話をきいた。 大腸をすべて取り去り、小腸が大腸の役目を果たしている状態。 お見舞いに行った人が言っていた。 「僕はまだ若いのに、なぜこんなに痛みに耐え、死ななければならないのか、、、」 と彼が泣いていたと、、、。 今、彼は退院し、自宅療養をしている。 そして、もう一人の男性は、心臓発作。 日本へは、出張で来たこともあると、3年前に会ったときに話していた。 髭をはやした、穏やかな男性だった。 イランでは、心臓が突然とまって、死ぬ人が多い。 夫の友人の奥さん達も、自分の夫が突然死ぬんじゃないかと心配している人が多い。 なぜかといえば、その旦那さんたちの父親も、祖父も、おじさんたちも心臓発作で 亡くなったという人が、とても多いから。なぜか男性ばかりが、、、。 数ヶ月前に、こんなニュースがあった。 イラン人は、先天的に心臓が弱い やはり数ヶ月前に、実家の近所の男性が、休日の朝、仲間とサッカーをやっていて、 突然たおれて亡くなった。心臓が止まってしまったのだ。 とても若かった。20代か30代前半だったらしい。 小さい子どもと、奥さん、そして奥さんのおなかにいる赤ちゃんを残しての、 突然の死であった。 昨年のお正月、私たちは夫の父親の街、ケルマンシャーのソンゴルへ 行った。人口10万人の穏やかな町。メイン通りの両端は、川や山、ブドウ畑、 畑などが続いている。そしてそこで羊の群れたちが一日を過ごす。 私も、そのゆったりとした空間、迫力ある山々、丘にある公園の頂上から、 遠くに連なる山々の頂に沈む太陽を眺め、その平和を満喫した。 が、、、親戚がたくさん住んでいるその町で、一件、悲しみに沈んでいる 親戚があった。 私たちはそろって、その家に出かけていった。 広い居間に人々が座り、亡くなった若者の母親が、時々泣き崩れては、 「なぜ死んでしまったの、、、」と叫び、悲しみにくれている。 父親や兄弟たち男性も、黙り込んで悲しみに耐えている。 姉妹たちは、みんなにお茶を振舞ったりしている。 亡くなった男性は、20歳だったという。 2年間の兵役中であった。 イランでは特別な免除がないかぎり、必ず兵役に出る。 イラン、イラク戦争の頃と違って、今の若者たちの兵役は、 のんびりしたものに見える。 7年ほど前に、初めてイランに滞在したとき、夫の弟がちょうど 兵役の最中であった。 朝6時に起きて、兵役にでかける。そしてお昼にもどってきて、 家で昼食をとる。午後は自由だ。イランは一般的に昼間は 仕事をしないから、若者たちは路地や通りへ出て、ひまそうに 座り込んでいたり、おしゃべりを楽しむ。 泊り込みの役務ももちろんあるようだが、普段はそんな感じだった。 「兵役の頃は良かった。家族を養うとか、人生をどうするとか 考えずにすんで。お金ももらえたし。」 と、半年ぐらい前に、その弟がぼそりと言っていた。 そんな苦しみのない兵役中に、なぜその親戚の 若者は亡くなったのか? 彼は、見張台にいた。確か、夜だったと思う。 そして、うたた寝をしてしまった。 そこへ、上官がやってきて、うたた寝を見つかってしまった。 彼の仲間達は、からかって言った。 「お前は、死刑だよ。」 「銃殺だな。」 冗談がすぎていた。20歳の若者にとって、仲間達のからかいの言葉は 冗談にはならなかった。 悩みぬいた彼は、ピストルで、自分の頭を打ち抜いて死んだ。 あまりにも、ひどいじゃないか、、、。 この平和なイランで、そんな過ちのために、死を選ぶことになるなんて。 彼を死に追いつめた仲間達に腹が立った。 ばか! 大声で叫びたい気持ちだった。 いたたまれない思いで、その家を後にした。 「死」が続く、、、 夫の実家の近所でも、多くの人が亡くなった。 ガン、老衰、コカイン。 コカインで亡くなった男性は、実家の路地ではなく、 2つぐらい隔てた路地に住んでいたらしい。 だから付き合いはなかったのだが、噂は広まった。 注射針を、動脈にさして死んでしまったらしい。 私は、死んだ男性より、そんな男性の妻であり、身篭っていた 女性を哀れに思った。自分の夫がコカインをやり、しかも 死んだ、、、。彼女にとって、その夫の存在は何だったのだろうか。 コカイン、アヘンがはびこっているらしいイラン。 それでも、関わりをもとうとしなければ、たとえ近所に そんな人がいても、関わらずに暮らしていける。 実家の近所に、水タバコを吸う店が2件ある。 親戚の男性が、実家にくると、水タバコを吸いに、よく 出かける。 でもなぜか、近い店ではなく、遠い店に足を運ぶ。 「どうして、遠いほうの店にいくの?」 あるとき、それに気がついた私は尋ねた。 「近いほうの店には、アヘンをやる人が来ていて よくないんだ。」 彼はちゃんと自分の世界を守っている。 先日、イスラム教シーア派の悲しい祭り、アシューラーがあった。 この祭りについては、今、まとめている最中なので、詳しいことは 書かないが、このアシューラーでは、多くのイラン人が、イラク にある聖地キャルバラーへ出かける。そして毎年、そこではテロがおこり、 多くの人々が亡くなる。 一週間ほど前だったか、実家の近所を、夫の弟と一緒に、 買い物しながら歩いていた。 イランでは、男性が亡くなると、似顔絵を、通りに面した壁や 店の窓、車の後ろのガラスに貼り付ける。女性が亡くなった場合は やらない。 だから、近所で男性が亡くなると、それと知ることができる。 若者、老人、いろいろな人たちがいる。 似顔絵の下には、亡くなった経緯などが書かれているが、 私には理解できないので、想像を馳せる。 そして、弟が一件の店のショーウィンドウに張られていた、 男性の似顔絵を指していった。 「彼は、自分の友達だった。キャルバラーへ行ったんだ。」 私は、てっきりテロにあって亡くなったのかと思った。 が、、、 「砂漠で迷ってしまったんだ。」 以前にもキャルバラーへ行ったことがあるからと、心配せずに 仲間と二人で出かけたらしい。 弟は彼がでかける前日に会い、「お土産はなにがいい?」なんて 聞かれたそうだ。そしてキスをして分かれた。 しかし彼は戻ってこなかった。 砂漠で迷い、アメリカ軍に発見された。 イラクに駐屯しているアメリカ軍に。 同行の仲間は助かったが、弟の友人はすでに亡くなっていたそうだ。 妻と、生まれたばかりの小さい子を残して、、、。 「いつもお祈りをする、まじめでいい男性だった。」 と弟は言っていた。普段お祈りをしない弟が、そんなことを言うのも 意外だった。 この一年、「死」にたくさん出合った。 そして、イランの葬儀はまた、私に「死とは何か」ということを 問い詰める。 夫のもう一人の弟の姑が、病気で昨年亡くなった。 とても年老いて見えたけど、60代だった。 テヘランの墓地は広い。 その広い墓地のあちこちで、葬儀や3回忌などが行われる。 マイクロフォンで亡くなった人たちについて読み上げる声が まるで競争をしているかのように、響き渡る。 娘や息子達は遺体が埋められた土の上に置かれた花や お供え物の上につっぷして、泣き叫ぶ。 普段、穏やかな弟の奥さんも、叫び、怒り、体をゆらし、 つっぷし、周りの人々がだきかかえる。 そして、失神したかのように、目をつぶり、倒れそうになる。 失神しているのかもしれない。 私は、子どもの頃から「死」に出会ってこなかった。 初めて「死」に出会ったのは、高校生の時の祖父の死の時だった。 淡々と進められる日本の葬儀。 悲しみに耐え、人前で取り乱さないことが「美」とされる日本の葬儀。 そんな葬儀しか知らなかった私には、イランの葬儀は驚愕そのものであった。 いつも静かな人が、 「私はこれからどうしたらいいの〜!!!」 「なんで死んでしまったの〜!!!」 と叫び、叫び、怒鳴り、暴れる。 肉親の死とは、こんなに悲しいものだったんだ。 私は、初めて分かったような気がした。 私もいつか、この墓地に埋められるのだろうか、 いやだ!!! 強く思った。 日本で? それもあまり気が進まない。 どこかへ消滅してしまいたい、 体も、遺骨もすべて、消滅できたらいいのに、、、と思う。 テヘランの墓地は、綺麗に舗装された道が縦横左右に走り、 木々が植えられ、とても明るい雰囲気。ピクニックのような 感じで、人々がお茶を飲んだり、持参したスープを食べたり している。死者と一緒に団欒を楽しんでいるようだ。 それは、すでに死後10年は経っている人たちのお墓の エリアである。 最近なくなる人たちのエリアは、まだ木々もなく、ただ 墓穴がマンションのように掘られ、一時的にコンクリートで ふたがされている。死者が入った穴だけに、墓石が 寝そべっている。あとは、誰かが入るのを待っている。 建設中のエリアは、穴が開いたままの墓穴がたくさん並んでいる。 あのコンクリートの中に、入れられる。 布に包まれた状態で、コンクリートの中に入れられる。 土にも帰らず、ただ朽ちていくのか、、、。 ただ、こんな話を聞いて、私はちょっとホッとした。 「イランの墓は、50年くらい経ったら掘り返されて、 新しい墓となる。」 そしたら、消滅するようなものかもしれない。 それもいいかもしれない、、、とふと思った。 来年は、どんな年になるのだろう。ホームへ戻りたい?押してね... どうでもいいんだけど、、、、 久しぶりのブログは、どうでもいい話。 最近、どうも変だ、、、いつもと違う、、、。 こんなこと、箇条書きにしてもしょうがないんだけど、、、 1.キシリトールガムがやめられない、、、! チューインガムが嫌いで、一年に1つ、それも15秒が限度の私が、 毎日キシリトールガムを食べ続けている。 甘いガムはやはりダメなんだけど、キシリトールガムがやめられない、、、。 ガムを食べなれてない私が、毎日キシリトールガムを食べ続けて どうなったか...? あご全体が、筋肉痛になった、、、。 それでもやはり、痛みに耐えながら食べ続ける。 食事のときも、口が思うように開かない、、、。 それでもやっぱり、キシリトールガムがやめられない。 2.二日連続で、溝におちた! 日本じゃ今はほとんどないけれど、 小学生のときに、幅20cm、深さ20cmほどの 小さな溝に片足をつっこんで、手をついた拍子に、 手首にひびが入った。 が、イランの溝は大きい。幅80cmぐらいだろうか、 深さもそのくらいかな。 道路わきに停めた車のドアを開けたら、そこは溝だった。 大きな溝である。でもいつもは、難なく飛び越える。 ところが、、、 右足を反対側に伸ばして渡ったつもりが、なぜか 落ちた、、、。 落ちる瞬間、溝の底に汚そうな水が溜まっているのが見えて とっさに右足をもちあげて膝をまげたが、左足は 落ちていた、、、。 夫と通行人が、ギョッとしてみたのが分かったが、、、 そこはタダでは起きない私、、、 「綺麗に落ちたから、怪我もしなかったし、洋服も 汚れなかったよ!!! さすが、若い頃スポーツをやってた体だね!」 溝の中に転げ落ちずにすんで感心してるのは、 それでも落ちた本人だけらしく、 「綺麗に落ちた、、、???」 夫には綺麗に落ちるのも下手に落ちるのも区別が つかないようだ。 ただでさえ目立つ外国人が、車から出た拍子に 溝に落ちてる姿を見た通行人にも、そんなこと分からなかった だろうな〜。 が、普段できることが突然できなくなる、、、年のせいか? 翌日、再び溝に落ちた。 そして気づいた。 買ったばかりの、くるぶしが隠れるぐらいのロングスカート。 ちょっとすそは広がってるけど、タイトスカートみたいなものだ。 溝を飛び越えようとした瞬間、ほんの少し伸びたスカートの 生地が、ゴムのように縮んで、延ばした右足を押し戻す 感覚があった。溝の端をかすりながら、再び溝におちた。 今回も、綺麗におちた、、、と、自分だけは思っている。 怪我もないし、衣類も無事。 年のせいではなくて、買ったばかりのスカートのせいで あることに気づいて、ちょっと安心。 3度目はなかった。3度目、溝を飛び越えるときは、 そのときは幅が1mぐらいあったので、反対側から 夫に手を引っ張ってもらって、両足で一度にピョーン と飛び越えた。 「頭、使ったでしょ〜」 なんて、また感心してたのは私だけなんだけど、 これで落ちてたら、ただのバカだった、、、。 夫の実家で、義母にこの話をしたら、すそに切り込みを いれてあげると、今にもハサミでジョキジョキしそうな 勢いだったので、 「3回落ちたら、おねがいするね」 と、3回目はないことを願って、断っておいた。 イランは、もうすぐお正月。春が近づきポカポカとした 陽気が続く。ホームへ戻りたい?押してね... 雪が降ったら使えない!? ここ数日、テヘランの北部では雪が降り続き、小、中学校はたびたび休みになる。 まだ2,3日、降り続くようだ。今朝は休校になって意気揚々とした娘に起こされ、 公園で特大雪だるまを作って遊んだ。誰もいなかった公園に、少しずつ子どもや大人が 現れ始め、知らない男の子と一緒に作り上げた。雪はさらさらとしていて固まりづらい。 一時間はかかった。 そんな楽しい雪も、インターネットをする私にとっては、天敵であることが分かった。 私はいろいろなインターネットプロバイダーのカードを購入しては、 あれは良いとか、良く無いとか比較しているのだけれど、最近分かったこと、ホームへ戻りたい?押してね... 「国民議会選挙が投票され、 イラク政治の主導権がイスラム教スンニ派から 多数派のシーア派に初めて移るのは確実」 というニュースを読んで、「ゲッ!アメリカの 矛先がイランに向けられるぞ!」と思った人は 少なくないだろう。 すでにブッシュは今年はイランに圧力をかける と言ってる。 昨夜も、夫とこんな会話をした。 夫:「いつでも逃げれるように、パスポートとか 用意しておかなくちゃね。私は、いいけど、 ○○(私)と○○(娘)は、すぐに出れるようにね。 私:「それもそうだけど、『はい、逃げて』と言われて 逃げるものかな。何かあったら、ショマールに みんなで行こうよ。」 ショマールとは、イランの北部、カスピ海沿岸地方。 緑が豊富な避暑地でもある。日本で言ったら、 「軽井沢」って感じかな。 夫は、長男だし、母親もいるし、国外へ逃げる わけには行かないだろうけれど、私だって、 夫や親戚おいて、自分だけ逃げる気にはなれない よな〜。でも娘が小さいしね。でも私と娘がい なければ、その分、夫の車にもいっぱい人が乗れるし、 いないほうがいいかもね、、、。とかぶつぶつ考 えていた。いざとなったら、娘にとって、一番いい 方法を選ぶしかないね。となったら、やっぱ国外 脱出か、、、。 さて、イラクの選挙の話だけれど、 イラクは、過半数以上がシーア派にも関わらず、 イラクの南部に主に住むシーア派住民たちは 政治の舞台からは除外されてきたという。 それが、今、過半数以上を占めるシーア派が 政権を握ろうとしている。それが自然な流れだ ろうな。 一方、イランは世界で唯一、イスラム教のシーア 派国として存在する、珍しい国。イランにとっては、 となりのイラクが、シーア派が政権を握る国になる ことは色々な面で嬉しいことだと思うけれど、中東 に、政治的に大きな力をもつ国ができることを恐 れるアメリカにとっては、嬉しい話ではないと思う。 イランは、ハイハイとアメリカの言いなりになる国 ではないから。 もうすぐ、シーア派の祭り「アシュラー祭」が始まる。 昨年は、最終日に、イラクのキャルバラーで、テロ があり、訪れていたイラン人も含めたくさんの人々 がなくなった。キャルバラーは、アシュラー祭に 由縁のある地。ケルマンシャー地方からは、自動車 で気軽に入れる場所。 私も、テロのあったしばらく後に「今度、一緒に行っ て見る?」って、ケルマンシャー州に住む親戚から 軽く言われた。「いやいや、私はいいですよ。」 と断ったけれど、イランの人たち、気軽にお参り に行ってほしくない。 このアシュラー祭で「キャルバラーに行く」って 言う人がいたら、「今年は、昨年よりテロの確率 が高いから、やめて!!!」と止めてあげましょう。 イラン人のことだから「いや〜、大丈夫、大丈夫」 という答えが返ってくるだろうけれど、命がかかって るのだから、「この日本人、変だぞ」と思われても いいから、ぜひ止めましょうね。 アシュラー祭については、「クローアップ!イラン」 をご覧ください。 「クローアップ!イラン」 このニュースを読んだのは、下記のメルマガです。 海外に住んでいると、なかなか日本語でニュースを 読みませんよね。しかも外国語じゃよくわからない。 このメルマガは、平日の毎日、ニュースを届けて くれてお勧めです。 『忙しいあなたの代わりに新聞読みます』ホームへ戻りたい?押してね... ホームへ戻りたい?押してね...
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