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□■□■ 出たっきり邦人・アジア編・305号 06・04・28□■□■
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〜セペセペしてるとコケまくるイランの生活〜
第 7 回 「親バカから妻バカへ」
私が前回2月に触れた内容は、
「子供の勉強に関する教育」
についてだった。
恥ずかしながら、思い切り、親バカぶりを、披露してしまった、、、。
でも、「家庭学習で日本語教育をがんばっている方はいらっしゃいません
か〜?」という呼びかけに、なんと、パキスタンはカラチから、メールを
いただいた! か・ん・ど・う!!!!!!
そのYさんには、すでに成人されたお子さんのことのみならず、ご友人で
同じように国際結婚された方の体験、留学などについても参考になる話
をしていただいた。
興味深かったのは、Yさんのご友人のお子さんたちが、特に日本語を教え
たわけではないのに、いつのまにか子供たちが日本語を読めるようになっ
ていたこと。それは、ロールプレイング式のファミコンゲームの解説書
やマンガを、兄弟で読みながら遊んでいったら、いつのまにか読めるよ
うになったらしい。
兄弟がいると、どうしても、普段使っている現地の言葉で話してしまい
がちという話をよくきくけれど、その兄弟は、二人でゲームをすることで、
日本語をマスターしていったという、珍しい例ではないだろうか。
その兄弟は、一人はイギリスに留学後パキスタンへ戻り通訳、一人は領事館
に現地採用されているとのこと。二人とも日本語、英語、ウルドゥー語が完
璧なのだそうだ。
そして私もさっそく、英語で書かれているドラえもんのマンガをひっぱり
だしてきて、娘と一緒に読み始めたのだった。(行動が単純?それとも素直?)
そして、Yさんご自身の娘さんや息子さんたちも、日本語能力検定試験に合格
したり挑戦したり、日本語講師をしたり、そしてアメリカへ留学したりと、
自分自身で努力をしながら、人生を切り開いていっているようである。
そして、英語の勉強に関しては、このように工夫をしていたそうだ。
「たまたま、イギリス領事館の広報センターが近くにあり(現在閉鎖中)、
そこで図書と、ビデオの貸し出しをしていたので、普通の日は、1日2本、
週末は5、6本の映画を、食事中やその他の時間に見ました。
街中にあるレンタルビデオ屋と、このイギリス図書館を、フル活用させても
らいました、、
そのおかげか、息子の英語聞き取り能力だけは、あるようです、
作文は、かなり問題ありですが、、、」
これは、私が実行したい勉強方法だ。2年半も住んだと言うのに、一向
にペルシャ語が上達しないので。
さて、Yさんからいただいたアドバイスの中に、ひらがなを読めない子供
たちに覚えさせる、楽しい方法がありました。参考にご紹介します。
★★★★★★★★★ カルタ(犬棒カルタ)でクリヤー ★★★★★★★★★★
★ ★
★カルタをする時には、なるべくたくさんの人数で、情け容赦なく勝負、 ★
★一回ごとに、賞品、みかん、おせんべい、チョコレートなんでもいいの ★
★ですが、表彰式を、音楽つき(口で)で,やるのをお勧めします。 ★
★ ★
★我が家では、パ〜ン パ〜カ パンパ〜ン♪とベートーベンの喜びの歌?★
★でした。 ★
★ ★
★賞品の食べ物を、子供の目の前で、みせびらかせながら、わざと、おいし★
★そうに食べたり、、、(息子の時には、娘たちが、カラフルなジェリーベ★
★アを、パクパク食べました) ★
★ ★
★ひらがな、カタカナが、完璧になったら、漫画本、その後でコンピュータ★
★ーでもファミコンでも、プレーステーションでも、とにかく、シューティ★
★ングゲームは避けて、RPG(ロールプレイング)と言われている冒険物が ★
★おすすめ。 ★
★たとえば、ドラゴンクエスト、ティルズシリーズ、 ★
★画面に、字が出て、キャラクターがしゃべってくれるものとか、、、 ★
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
カルタでこんなに楽しく勝負できたら、自然に覚えそうだ。
子供の性格にもよるかもしれないけれど、、、。うちの娘が負け続けたら、
「たまには勝たせてくれてもいいじゃないの!!!」と、泣き叫びそうだけ
ど、、、。
というわけで、ひらがなでつまづいてしまっているお子さんに、この方法を
どうぞ! カラチのYさん、本当にありがとうございました。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
さて、本題です。
今回は、「親バカ」ならぬ「妻バカ」。
つまり、わたしの「夫」について。
結婚生活10年。
国際結婚というのは、夫婦同士でさえも、誤解しあうことが多いのではないか
と思う。日本人同士だってきっと、分かり合うのは難しいだろうし、何年も
何十年も誤解したまま過ごしていた、、、なんてことだってありえそうだ。
でも国際結婚の場合、言葉のアヤとか言葉の理解不足とかで、そういった
誤解はたくさん生じる。お互いの言語の単語を、分からないのに分かったつも
りで会話を進めていくと、とんだことになる。
「目と目で会話?」
「あうんの呼吸?」
「空気のような存在?」
「一を聞いて十を知る?」
とんでもない!一を聞いたら、10分の一だけ分かったという謙虚な気持ち
にならないと、後で痛い目に、、、。でも、確認しすぎると、しつこいと
怒られるし、、、。
それにしても
日本に住んでいたときは、
よく喧嘩ばかりしていたな〜。
「私の夫は、なんて、冷たいんだ〜!」
なんて思っていた時期もあったな〜(しみじみ)。
まあ、それはお互い様で、夫は夫で私のことをそんな風に思っていたはず。
その「冷たい戦争」ともいえる、どこかで聞いたことのある呼び名だけど
いわゆる「冷戦時代」を切り抜けて、2年半前にイランにやってきた。
移住する頃の私は暗かった。
多分、今までの人生で一番暗かった。
どうなってしまうのだろう、、、と
ところが、、、
イランに移り住んだ意味は大きかった!
喧嘩がなくなった。
お互い成長したこともあるだろうし、お互い、怒らせる言葉を発しなくな
ったことも原因だと思う。でも一番は、お互いのストレスが激減したこと
ではないだろうか。
このゆったりと時間が流れるイランで、すっかり心身からストレスがとれ
て、心に余裕ができた感じがする。
夫自身は、日本のように一筋縄には行かない、イランの様々なシステムに
うんざりしたりしてるけれど、家に閉じこもってパソコンで仕事ばかりし
ていた日本時代に比べたら、そのストレスの度合いには雲泥の差が。
それにしても、イランに移住して以来、娘の学校のこと、塾のこと、買い
物、日本だったら私がやる仕事まで、文句も言わずに小まめに動いてくれ
て、夫には本当に感謝、感謝。
「逆に日本にいたときは、私が大変だったものね〜」
とも言えるけれど、これまでやり慣れていなかったことをするのは、普
通以上に大変なんじゃないかと思う。
それでも、あまりにも文句も言わないでいろいろやってくれるので、不
気味なくらい。いつか日本に戻ったら、また椅子にはりついて、動かな
くなっちゃうのかな〜なんて心配も、、、でもその時は、イランで私を
感動させるくらい、いろいろやってくれたことを思い出せば何のことは
ない。
さてもう一つ、イランにきて気づいたこと、、、
夫は「おばあちゃん子」とは知っていたけれど、
「筋金入りのおばあちゃん子だった」
夫の祖母は、夫が日本にいるとき(結婚前)に亡くなった。だから夫は
大好きな祖母の死に目に会えなかった。
結婚して私が妊娠中、夫が女の子が産まれたらつけようと思っていた名
前は、なんと私が以前から考えていた名前と同じだった。それは、夫の
祖母の名前だったのだ。なぜか私は結婚前から、いつか女の子が産まれ
たらその名前にしようと考えていた。
後にも先にも、これほど夫と気持ちが合ったことはないね〜なんて話を
するぐらい、娘につける名前の希望が一致したのは驚きだった。
夫は、幼児期を祖母に育てられた。
母親がまだ14歳という若齢だったせいだ。
えっ!?っと思った方も多いと思うけれど、10代の半ばで結婚すること
は、夫の母親世代までは多かったようだ。
ちなみに夫の妹は現在38歳ですでに結婚21周年。17歳で結婚し、21歳の
長男と16歳の次男がいる。
先日は、38歳で6歳の孫がいるという女性の、20歳の娘さんに会った。
驚くばかりだ。
まあそんなことで、夫の両親は赤ちゃんだった夫を、地方都市に住む
祖母の元において、他の町へ赴任していったのだそうな。
夫が4歳ぐらいになって両親と一緒に住めることになった時、夫はその
おばあちゃんの家から遠いテヘランに引っ越すことになった。
その時の別れの辛さは、今でも覚えているそうで、いつまでも泣き
わめいて、悲しんで、おばあちゃんから離れるのを嫌がったのだそうだ。
テヘランにある墓地に行くと、19年前に亡くなった夫の父親の墓前では
決して涙を見せない夫が、祖母の墓前にいくと、いつも涙ぐんでしまう。
夫が唯一涙を見せるときである。
先日、親戚の家で、20年前の当時はめずらしかったはずのビデオテープ
を見る機会があった。親戚の結婚パーティーのビデオだ。
夫は映っていなかったれど、夫の妹が当時一歳だった息子を抱っこして
踊っている。数年前に自殺をしてしまった男性が、ドライヤーをマイク
ロフォン代わりにして歌って踊っている。夫の母親、おばさん、顔見知
りたちがたくさん、いまよりちょっと若い面影で踊っている。
そこに、誰かが手を引っ張って、突然、夫の祖母が登場した。すでに高
齢、75歳ぐらいだ。イランで75歳というと、80代ぐらいに感じさ
せる。体は大きいけれど、足腰が弱ってしまって、足元がおぼつかない。
それでも夫のおばあちゃんは、音楽に合わせて体を揺らしておどって
いた。
ほんの2,30秒くらいの映像。涙なくして、どうしてみれようか、、、
夫には悪いが、夫が涙ぐむ姿をみると私は心があたたかくなる。長男
のせいか、普段はあまり人前で感情を表すことがないからだ。
その祖母には娘が7人もいて、その一人が夫の母親だ。そして一番上
の姉にあたる夫の叔母は、いま79歳。彼女の母親にそっくりである。
顔立ちも髪型も、体格も夫の祖母そのもの。
そのせいだろうか、夫はよくその叔母を訪問する。足腰が弱くて歩く
のもおぼつかず、呂律もあまり回らなくなったその叔母の元へ、他の
兄弟たちは訪問しないのだけれど、夫だけは頻繁に尋ねる。
夫の祖母の夢は、
いつか目が見えなくなってしまったら、
○○○○(夫の名前)に手を引いてもらって歩くこと
その夢はかなうことはなかったけれど、その夢を叔母におきかえて、
かなえてあげたいと、夫は思っているのかもしれない。
夫の夢は、
もしも○○○バア(バアはおばあちゃんという意味)に
10分でも会えるのなら、
それと引き換えに、寿命を10年縮めてもいい、、、
10年も寿命が縮まったら、私が困るよう〜!と、横から言いたく
なるけれど、ま、いいか。こんな夫の一面を知ることができただけ
でも、イランに来て良かったと思う。
でも、そこまで夫に愛される○○○バアに、ちょっと嫉妬を感じる
な〜。
イランからソラでした。
ご感想はkidsmet@yahoo.co.jpまで
イランについてはウェブサイトもどうぞ
http://www.pars.eexpertbiz.com/index.htm
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〜セペセペしてるとコケまくるイランの生活〜
第 6 回 「セペセペした甲斐があった!?」
イランに移住してきて早や2年強、私のペルシャ語力は一向に上達しな
いが、娘のペルシャ語力はめきめきと伸び続けている。
イランの学校は、9月下旬から新学年が始まる。私と娘がイラン入りし
たのは、おととしの9月末日だった。
テヘランの日本人学校への入学は、イラン側の許可が下りさえすれば、
父親がイラン人であっても可能になったばかりの時期だったが、ころ
ころかわるイランのシステム、長期滞在するこちらとしては、いつ放
校になるか分からない状態では、日本人学校に入れるわけにはいかな
かった。
しかも日本円にして50万円ほどの学費(一年分)は、日本でだったら、
娘の幼稚園代に払っていた金額ぐらいだけれど、公立小学校の一年間
の学費が0円、私立小学校でさえ3万円から7万円(テヘランの中でも
地域によって異なる)という環境で、どうして50万円もの大金を払え
ようか。
それでも、いずれ日本に帰るのならば、日本人小学校に通わせる価値は
あるかもしれないとずいぶん悩んだのだけれど、一学年が数人という、
子供の数が少ない学校で、果たして娘の日本語力は向上するのだろうか、
、、という心配もあった。
それよりも、子供がたくさんいるイラン人の小学校に通わせて、自分の
母語でもあるペルシャ語をしっかり学ばせ、日本語は家庭学習という方
法のほうが、結果的に学ぶものは大きいのではないのではないかとも考
えた。6歳まで日本で日本人として育ったとはいっても、娘にはイラン人
としての血も流れている。イラン人の子供たちの中で、イラン人とはど
んな国民性をもっているのか、いい面も悪い面も学んで欲しいと思った。
学校探しは、たったの一日で終わった。
まず足を運んだのは、自宅から徒歩でも10分ほどでいける距離にあった
「インターナショナルスクール」の女子校。英語で授業をするクラスと
ペルシャ語で授業をするクラスが同じ敷地内にある。
英語で授業をするクラスは、「ペルシャ語をしっかり学んで欲しい」と
願う私にとっても、矛盾するようだけれど非常に魅力的だった。英語が
できれば日本に戻ってからも役に立つ。高校入試、大学入試、就職、、
、といろいろな場面で役立てることがあるだろう。
ただ、日本のECCで3ヶ月しか英語を学んだことのなかった娘に、第三国
の言語である英語で授業を受けさせるのは、とても無理があるようにも
思えたし、面接をしてくださった先生も、はずかしさも手伝って一言も
しゃべらない娘に心配な表情を隠さなかった。
ペルシャ語のクラスでも話をきいた。すでに新学期が始まっているとい
うのに、「一年生に何人入るか分からない」という答え。その時点では、
まだ
10人ぐらいしかいなかったようだ。ペルシャ語のクラスは、娘と同じよ
うな帰国子女が通う。ペルシャ語はやはり苦手と考えてよいだろう。雰
囲気は明るくて良い印象だったけれど、苦手同士で学ぶのでは、しかも
人数が少ないのでは、ペルシャ語の上達が遅くなるのではないかと感じ
た。同じような境遇の子供同士でなじみやすいかもしれないけれど、わ
ざわざゆっくりとペルシャ語を学ばせる理由はないし、イラン人の気質
を学び取るには足りない環境だと感じた。
インターナショナルの小学校は、そんなわけで魅力はありながらも、ど
うしても通わせたいという理由はみつからず、普通の小学校に通わせる
という意思が、すっかり固まった。
まず行ってみたのは、そのころ住んでいたマンションから徒歩5分の公立
小学校。現在 娘が通っている小学校である。
一応高級住宅地にあたるその地域に、なぜか古ぼけたレンガ造りの校舎が
3つほど。しかもすべて一階建てに見える。実際には地下にも教室があり、
丘陵地帯のために、一応地下の教室にも窓はついている。
校長室も職員室も教室もぼろぼろで、子供たちの落ち着かなく騒ぐ声が絶
え間なく聞こえて来る。面接をしてくださった校長先生は、いろいろな質
問に答えてくれ、その公立小学校は一クラス30人ほど、学校では制服の一
つであるマグナエ(髪をかくすためにかぶる布。スカーフと違ってずれに
くい。)を授業中もはずさない、授業は7時40分から12時40分ということな
どが分かった。
人数が多いというのが、インターナショナルの時とは逆に心に引っかかっ
た。どうしても先生の目が届かないだろうという心配が生じたのだ。また、
娘には慣れないマグナエが、授業への集中に妨げになるのではないかと心
配になった。
冷静な校長先生は、自分の学校はすばらしいけれど、ペルシャ語が分から
ないのなら、近くにある私立小学校は一クラスの人数が少ないので、そこ
で1年間学び、それから公立小学校に通うというのも良いのではないかとい
う、意見を出してくれた。
公立小学校のあまりのボロさと落ち着かなさ、そして私自身さえなじめな
いマグナエを学校内でも着用しなければならない環境に、ものすごいカル
チャーショックを受け、心に冷たい風がヒョロロ〜と吹いていた私には、
いずれにしても娘を通わせたいという気持ちが起こらなかった。
救われたように、私立の小学校に足を運んだ。高級住宅地のなかにある、
一軒家を改造した小学校。イランの住宅用地は日本よりかなり広いのだが
、教室はせまいしやはり古臭い。それでもさっき見た公立小学校よりは落
ち着きさが感じられ、さっそく、東京の小さい公立保育園の庭ぐらいしか
ないその小学校の庭に面した、一年生のクラスをのぞいてみた。
新学期がはじまって約一週間が過ぎていた。新一年生たちはそれでも前か
らその小学校にいたかのように、わいわいと楽しそうに勉強をしている。
私たちを見た担任の先生が(女子校なので、教員はみな女性)、子供たち
を庭に出し、手をつないで輪をつくり、歌を歌い始めた。
娘のことも輪に入れようとするのだけれど、人見知りが激しい娘はどうし
ても入ろうとしない。そのうち泣き出してしまった。そして子供たちが娘
と私の周りに集まって、わいわいがやがや口々にいろいろな質問を始めた。
泣きじゃくって何も話さない娘を連れて、それからしばらくして校長室に
戻ったのだけれど、そのとき娘の口からでた言葉はとても以外なものだっ
た。
「わたし、この学校に通う」
泣きながらも、一年生の先生が作ってくれた暖かな雰囲気を感じとった娘
は、自分の意思で通う学校を決めてくれた。
これで、一安心。その学校で娘は一学年をすごすことができた。ペルシャ
語がまったく分からなかった娘、今から思えば、よくもまあ、がんばって
通ってくれたと思う。3ヶ月もたったら、父親との会話はペルシャ語になっ
てきて、体全体でペルシャ語を吸収しているのがよく分かった。
そして、その私立小学校で2学年もすごさせようかと考えていたのだが、、
、夫がどうも気に入らないと言い出した。年間7万円の授業料(日本の物価
で考えると、50万円ぐらいの価値がある)のほかに、いろいろなお金を請
求してくるためである。午後にある英語の授業の先生を雇うための資金と
か、学校の設備費とか、、、
そんなもんじゃないの、、、と軽く考えていた私だったけれど、一学年が
終わるときに、学校を変えようと思わせることがおきた。
それは、イランでは中間テストと期末テストがあり、その都度成績表をも
らうのだけれど、テストの答案用紙を返してくれない上に、期末テストの
結果が
すべて満点だった
ことである。
正直、がっかりした。それまでがんばってきた努力の結果が、数字に反映
されていないのだ。
イランのテストの点数は満点が20点である。
娘は算数が得意だし、ペルシャ語力もそれほど要さないから、
算数だけが「20点」で他の教科が「19点」とか「17点」とかだったら、
それこそどんなにうれしかった事だろう。
娘にだって、次のステップへと進む原動力となったはずだ。
それなのに、すべてが20点となっている。
何の教科が苦手かさえ、これでは分からない。
私立小学校だから、あまり悪い点をつけたら「成績があがらない」と転
校されては、学校の評判にも差し障る。そんなこともあって、甘い点数
をつけるのだろうか。少なくとも私にはそんな対応は逆効果で、学校を
変えることに気持ちが固まった。
そんなこんなで、2学年からはあのボロボロの、私の心に隙間風をヒュー
ヒュー吹かせた公立小学校に娘を通わせている。
一年というクッションをおいたせいもあり、私も迷わずその学校に娘を
入れることができた。娘は娘で、最初は気が進まなかったようだけれど、
すぐに学校を変わって良かったと言うようになった。
というのも、新しい学校での2学年の担任は、いつもにこやかな、子供た
ちを叱るときも大声を出さずに冷静に注意する、ほんとに人間ができた
と言える、これまでに出会ったことのないような年配の教師だった。今
でも時々顔を合わせると、満面の笑顔を浮かべて右手を差し出し、握手
を求めてきてくれる。その態度は誰に対しても同じで、子供たちに対し
てもいつも同じで、子供たちからも親からも人気のある先生だ。そして
そのクラスで大の仲良しの友人もできて、時にいやなこともありながら
も、決して学校を嫌いにならず、2学年を終えることができた。
3学年では逆に、決して微笑みもしない先生が担任となった。あまりにも
ギャップが激しいが、それでも娘は「あの先生はね、しっかりしているよ、
厳しいけどね」と言う。2学年の先生は笑顔で子供たちを抑えていたけれ
ど、今度の先生は怖さで抑えている。最初は心配だったけれど、笑わない
先生でも子供には、その先生の内側も分かるようだ。
つい最近、中間テストが終わり、成績表をもらってきた。数教科が満点の
20点、のこりは19.5点とか19点。作文だけがちょっと低めだった。
2学年の時の成績表よりもずいぶん良くなったし、得意の算数や理科、ペ
ルシャ語のディクテーション、体育が満点で、娘も私たちも納得。とくに
3年生になって一気に内容が難しくなった理科は、ひたすら暗記するしか
なく(日本にような穴埋め問題はイランではない。内容を理解して、説明
できるようにしなければならない。)、深夜までかかって覚え、トイレの
中でも暗唱していた努力が実ったともいえる。
ところがそれからしばらくして、再び成績表をもらってきた。今度は全て
が20点満点。どういうことだ?一学年の時に通っていた私立小学校を思い
出した。それでも、本当のテストの成績表はもらっているし、おそらく授
業態度も含めた上での点数なのだろう。
それから数日して、学校で成績上位の生徒たちに、壇上で証書をあげるセ
レモニーがあった。娘のクラスでは約30人中10人ぐらいの子たちがもらう
ことができたようだ。昨年はそんな他の子の姿を眺めていた娘も、今年は
その仲間に入ることができた。
以前、「いつか、娘もそんな中に入れるのだろうか」と願った私の思いは
いつのまにか現実となり、そして誰よりもうれしかったのは娘自身だった
ようだ。名前を呼ばれたとき、本当にうれしかったと、日本のおばあちゃ
んへの手紙に書いていた。
ペルシャ語の作文以外ではクラスでも1,2番の力をつけた娘(作文力も
なんとかせねば、、、)、2年4ヶ月前には「こんにちは」ぐらいのペルシ
ャ語しか解せなかった娘、「やればできる」ことを親子ともども体感する
ことができたのだった。
イランはもうすぐ1384年が終わる。イランの新年は春分の日(日本の3月
20日)だ。この一年を振り返ると、娘にはペルシャ語だけでなく、日本語
も英語もせぺせぺと学ばせてきた。週に2回通っていた英語スクールは秋
にやめ、それまで学んだ内容を、家庭で復習している。日本語は日に2時
間前後はやっている。
時に息切れしそうになりながら、時にペースが崩れて一週間ぐらいできな
いときもあったりと、常に一定のペースで続けているというわけにはいか
ないのだけれど、あきらめないでやってきた甲斐があり、ペルシャ語同様、
最近になってやっと目に見える向上が表れてきた。
この一年は私たち親子にとって、大きな成長の期間だったと思う。娘の将
来のためといいながらも、「毎日、娘の勉強をみる」という私にとっては
なかなか難しい課題をこなすことで、私自身がどんなに成長させられたか
しれない。
最近私がやっと克服しはじめたのは、「ヒステリーを起こさない」こと。
娘はよく言っていた。「ママは学校の先生にはなれないよね。○○先生
(2年生の時のいつもにこやかな先生)とはぜんぜん違うもの。ママが先
生になったら、いつも叫んでばかりで大変だよ。」と。ごもっとも。
間違えても決して怒らない私でも、集中してくれないと、どうしても、、
、。集中するかどうかも、親次第だとは分かっているのだけれど、その技
をしっかり身に着けるのは、まだまだ。
このメルマガをお読みになっているみなさま、私のように海外在住、お子
さんは現地小学校で日本語は家庭学習で地道にがんばってらっしゃる方が
いらっしゃいましたら、ぜひ、どのように勉強を進めていらっしゃるか教
えてください。 kidsmet@yahoo.co.jp までよろしく!
イランについてはウェブサイトもどうぞ
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*次回3月3日(金)はタイはのんさんからの配信予定です!お楽しみに!
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〜セペセペしてるとコケまくるイランの生活〜
第 5 回 「おいしい空気を吸いたい!」
みなさん、お久しぶりです。イランはテヘランのソラです。
日本や西側諸国は年末ですが、アジア諸国や中東諸国の新年はまだまだですね。
11月に寒波が襲い、テヘラン北部の山々は雪をかぶり、さっそく冬物コートと
手袋を着用し始めたのですが、12月になって気づいたら、コートも手袋も、と
てもとても、あつすぎて、不要な気候になっていました。
なぜか大気は白く、まるで雪が降りそうな重たい空なのに、暖かい、、、
「雪が降りそうだね」なんて夫と話をしたりもしました。
でも、暖房が不要なくらい、暖かい。
そういえば最近、雨が降っていないし風もない。
テヘラン上空は、大量の車による排ガスで、すっかりガスで覆わてしまったので
した。
テヘランの排ガスによる大気汚染は、10年近く前の朝日新聞でも取り上げられて
いるのを見たことがありますが、排ガス規制をし始めたにもかかわらず、改善さ
れません。
秋の乾燥した気候と無風状態が続いたせいで、空気が比較的きれいと言われるテ
ヘラン北部の我が家の辺りまでもが、はっきりみて分かるほど、地面から空まで
白いガスで覆われ、歩くと体にまきついてくるような、暖かいのに霧の中を歩い
ているような気持ちの悪い空気で満たされてしまいました。
我が家から望めるテヘランのタワー(私のウェブページのトップの左上の写真に
ある、朝焼けに浮かぶタワー:ボルジェ・ミラード)も、普段ははっきりしてい
るのに、ぼんやりとしか見えなくなり、ある時は、すっかり視界から消えてしま
いました。まるで吹雪のなか、視界がさえぎられた感じでした。
東京の環八(環状八号線)と環七の空気を集結した感じでしょうか。。
夏の酷暑の日に環八の上空に発生するという、排ガスで作られた「環八雲」が、
テヘランの隅から隅まで(駐車場の中も、家の中も)覆い尽くしてしまったと
ご想像いただければ、東京に住んだことのある方なら、どんな様子かお分かり
いただけるかもしれません。
家の中といえば、確かに外よりはましなのですが、窓近くのテーブルなどがザラ
ザラするのでふいてみたら、台ふきが真っ黒く汚れてしまいました。
掃除不足?かとも思いましたが、それだけではないようです。
12月5日、娘によると、以前私たちが住んでいたマンションの女の子が、学校で
呼吸困難に陥り、救急車で運ばれたとか。
そして翌日からテヘラン全体の幼稚園、保育園、小学校、中学校そして高校が休
みになりました。2日間の予定でしたが延長され、中学生までに限っては、9日の
休日をはさんで結局10日まで休みとなったのでした。
子供たちの健康を考えての休校のはずですが、別の効果もありました。
それは、車が減ったことです。
イラン北部では、スクールバスや契約タクシー、自家用車で登校するのが普通で
す。
徒歩で通学する子供は、私が住む地域を見る限り、少数といえます。
休校の間、朝7時ごろといえば、いつもなら家の前の通りをスクールバスやタク
シー(しかもタクシーは、排ガスを大量に出す旧型の車が多い)、自家用車がバ
ンバン走り、窓を開けると排ガスの臭いが5階の我が家まで入り込んでくる勢い
なのですが、その朝はすっかり静まり返り、閑散としていました。
その差は歴然で、やはり車で別の地域まで行った友人によると、すっかり車が少
なかったとのこと。
また、近くの地域でタクシー会社を経営している親戚によると、休校中、仕事が
減ってしまって、これ以上休校が続くと仕事にならない、、、なんて話でした。
それほど小学校や中学校などの休校は、自動車社会に大きな影響を及ぼしたので
した。
そして11日から普通に学校が再開されました、空気もなんとなく澄んできたよう
な気がしますが、あいかわらずタワーはかすんでいるし、空気の澄んだ日なら遠
くに見えるテヘラン南部の小山や、その北に広がる下町、そしてメヘラバード空
港に着陸する飛行機の姿が、今ではまるで存在しないかのように視界から消え去
っています。
マスクを着用する人、日本でも愛用されている、からす天狗みたいな菱形をした
花粉症用マスクを見かけますがとても少数です。娘にもマスクを持たせて学校へ
行かせましたが、授業中にやっていただけで、肝心の休み時間はしてなかったそ
う。
ところで、テヘランの下町は、南に行くにつれ空気が汚くなります。それは、排
ガス対策をしていない車、特に古い車が多いことが原因です。20年前、30年前と
思われるポンコツ車が、それでもちゃんと走っているのですが、それらが排出す
るガスは、常にテヘランの空気を汚しているのです。
8年前の春に、初めてイランを訪れたら、私にとっての忘れられないイランの匂
いは「排ガス」の臭いとなりましたが、それもその3年後の夏に訪れた時は、暑
さの中、渋滞中に車内まで入り込んでくる排ガスのせいで、何度も吐き気をもよ
おし、懐かしい匂いなどと言ってはいられなくなりました。
イランは、中東で唯一、自動車生産ラインを持っている国、と耳にしたことがあ
りますが、それにもかかわらず、一般市民の収入に比べ自動車は高額です。
それでも自動車社会です。だから日本なら何十年も前に廃車になっていそうな車
たちが、いつまでも排ガスをはき出しながら乗り回されているのです。
貧富の差があるせいかプライドもあるのか、自転車を移動手段に使用することは
問題外で、めったに自転車はみかけません。自転車を乗り回せるようになれば、
テヘランの空気はずいぶんきれいになると思うのですが、、、。
また、流しのタクシーの多さもその一因でしょう。流しのタクシーは、車さえあ
れば誰でも始めることができます。会社に所属する必要もなく、許可も必要なく、
「タクシー」と表示する必要もなく、若者の失業者が多いテヘランで、最も手軽
にできる仕事といえるかもしれません。
年々上昇し続ける物価に対し、収入は変わらない状態の中、副業としてタクシー
を始める人も多いようです。
日本のようなタクシー会社もありますが、この流しのタクシーは料金も安いので、
市民にとって欠かせない交通手段となっています。しかし道を歩いていると、お
客がのっていない流しのタクシーが「タクシー?」と次々と声をかけていくこと
から、タクシーの量は、どうやら飽和状態にあるといえるかもしれません。
移住前から、テヘランの空気の悪さは知っていたつもりで、空気が比較的きれい
な地域を選んで住むようにしましたが、今回、下町の上空では足りずに北部の山
際まで迫ってきた汚染された空気を目の当たりにし、子供の健康がとても心配に
なりました。
■空気を全部 フィルターにかけて、きれいにできたらいいのにな〜!■
---テヘランよりソラでした。---
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〜セペセペしてるとコケまくるイランの生活〜
第4回 「食欲の秋に断食?」
イランはテヘランからソラです。こんにちは。
3ヶ月間もの日本での滞在を終え、9月半ばにイランへ戻ってきたのですが、まだ
夏休みが一週間も残っていて、我が家の前の公園で、夜の10時ごろまで遊びまく
る子供たちを眺めながら、日本の規則正しい生活がとても懐かしく思え、早くも
イランの生活に疲れを感じてしまいました。
ところが、娘の学校が始まり、規則正しい生活が戻ると、それまでのホームシッ
ク気分はどこへやら、、、、イランの生活を再び楽しめるようになりました。
ところが今度は、、、
普段はブラックでコーヒーを飲む私ですが、秋になると毎年、コーヒーに砂糖や
らミルクなんかを入れたくなります。寒さに備えて体に脂肪をつけようとする本
能に驚くのですが、この、甘い物を口にいれたい食欲の秋に、なんとイスラムで
はラマザン(断食)月が始まったのです。
昨年のラマザンは、10月の半ばからでした。今年は10月4日からとなりました。
イスラム暦では、一年は354日です。
ところがイランは、暦はイスラム暦そのものではなく、イスラム暦と太陽暦を、
うんだこんだして(未だに詳しいことは分からないので)算出する、イラン暦
(ヒジュラー暦とも呼ばれるらしい)を採用しています。一年は西暦と同じ365
日です。
そしてイスラム暦で設定されるイスラムの祝祭日は、イラン暦でも西暦でも、
毎年11日間ずつ(閏年は12日間ずつ)ずれていくことになります。
ところで、「ラマザン」というのは日本では「ラマダン」と言ったほうが、馴
染み深いですね。「ラマザン」というのは、イスラム暦の9番目の月の名称です。
イランのカレンダーは、イラン暦とイスラム暦、そして西暦が併記されているも
のが多いのですが、それを見てみると、イスラム暦の9番目の月は、確かに「ラ
マザン」と書いてあります。なぜ「ラマダン」と呼ばれるのが一般的なのか不思
議ですが、アラビア語で発音すると「ラマダン」に近くなるのでしょうか。
細かいことを言うと、今年のラマザン月は西暦10月6日から11月3日の29日間で、
実際にラマザンが始まったのは10月4日でしたから、計31日間となるようです。
さて、みなさんの中には、イスラム教徒はこの一ヶ月間、
「飲まず食わずなのか〜?」
と、とんだ勘違いをされる方もいらっしゃるかもしれません。
簡単にラマザン(断食)を説明しますと、夜明けから日没までは、何も食べずに
口にせず、貧しい人の苦労を感じ、神を近く感じ、とにかく欲というものを、す
べて抑えなければならないそうです。食欲、性欲はもちろんのこと、水も飲まな
い、煙草も吸わない。つばも飲みこまないなんて話も聞きますが、それは、、
疑問。
断食をすると体がきれいになるそうですが、水を飲まないというのは、とっても
健康に悪そうです。胃を駄目にして、途中で断念する人も見かけます。やらなけ
ればやらないで、それは自由なのです。私も夫もやりません。一日置きにする人
とか期間中に何度かする人とか、その回数も自由です。ひとつの家族で、する人
もいれば、しない人もいるとか、そんな状態です。
昨年のラマザン中、アパートの階段の壁を塗り替える業者が入っていました。
数人の男性たちだったのですが、出されたお茶を飲む人もいれば、飲まない人も
おり、昼食を食べる人もいれば、食べない人もいるようでした。
ただ、やはり外で物を口にするのは控えなければなりません(子供は例外)。
休日に外出すると、レストランも喫茶店も営業しておらず、おなかがすいて
お菓子を買っても、食べる場所がなく、のどが渇いても、水を飲むのもはばか
られ、初めて経験した昨年のラマザンでは、何気に不便さを感じました。
それもあって、今年のラマザンでは、休日、朝から外出するのは避けることに
なりそうです。
さて、ラマザンをする人の一日というのはどうなのでしょうか。
人によって違うとは思いますが、夜明け前に起きて、七面鳥を煮込んで作った、
ホワイトシチューをまったりと、しつこくした風味のスープを食べます。
先日、初めて食べてみましたが、ものすごくカロリーがありそうで、重たかっ
た。それが日没までのエネルギーとなるのです。
そして昼間はお祈りをして(イランでは日に3回、お祈りをします。)、仕事
をする人は仕事をし、、、
いざ日没となると、マスジェッド(モスク)からアザーンと呼ばれる声が
鳴り響きます。あちこちの店先で、大なべで煮込まれたスープが売られ、たく
さんの人々でにぎわいます。アザーンが鳴り響くのは、夕方6時ちょっとすぎ
ぐらいです。
そして夜の8時、9時ぐらいに夕食をとることになるのですが、イラン人の食べる
量ってすごいです。昼間たべないで、夜こんなに食べたら、どうなってしまう
の?と、ついつい心配してしまいます。
宗教とともに生きていない私には理解するのが難しいのですが、1300年以上も
前から続く習慣、それは健康に良いとか悪いとか言うものじゃないのかもしれ
ませんね。
ソラ@テヘラン
kidsmet@yahoo.co.jp
イラン女性の趣味のコーナーで、作品の写真を掲載しました。
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〜セペセペしてるとコケまくるイランの生活〜
第三回 「日本で知ったイラン」
みなさん、お久しぶりです。イランはテヘランのソラです。
前回は6月10日にメルマガを書いたのですが、その時すでに子供の夏休みの
ことを題材にしていて、何かの間違いではないかと、つい確認してしまった次
第です。そういえば、5月の下旬から、夏休みに入っていたんですよ。
そして、3週間ほどイランで過ごしてから、6月中旬に2年ぶりに日本の実家に
戻ってきました。9月半ばまで滞在予定です。
早速娘は、地元の小学校に通い始めて、「男女共学」という久しぶりの環境に
戸惑うと思いきや、「男の子とも女の子とも仲良く遊べる」と通知票に書いて
もらえたのでした。勉強面では、算数はすぐに追いつけ、それなりの点数を
もらえましたが、やはり日本語の読解力が必要な問題となると、難しいですね。
特に社会科はお手上げでした。それでも、この滞在中に、少しでも日本語力
をのばそうと、セペセペと娘と毎日勉強しています。1ヶ月ほどで、その成果
は現れてきましたが、一番の壁は、やはり「漢字」だということを痛感しています。
漢字が読めないと、算数の文章題も理科も社会も国語も問題が解けない!
と、そんなこんなで、担任の先生は「自信をなくすんじゃないか」と心配してまし
たが、娘は娘でそんなことは置いておいて、学校生活を楽しんでいます。
そして7月27日から夏休みが始まり、朝のラジオ体操、学校のプールと、毎日
それはもう楽しそうに通っています。ラジオ体操は6時半から始まりますが、
6時には勝手におきて、顔を洗うと家を飛び出していきます。一番乗りすること
と、カードにスタンプを押してもらうのが、生きがいのようです。
親としてはうれしい限りです。
さて、話は変わりまして、日本に戻ってきてから気付いたことがありました。
以前、このメルマガで「夫婦げんかのもと」ということで、イランの昼寝につい
て書いたことがありましたが、私はイランにいると、昼食後、常に睡魔と闘い
ながら過ごしています。日本で会社勤めをしていた時だって、昼食後は舟を
こぎながら、ミミズがはったような字を書いていたこともあったし、昼食後に
眠くなるのは「胃袋に血液が結集して頭に血液が少なくなってしまうから」と
いう理由だけだと思っていました。
でも、今回日本に帰ってきて、気付きました。
昼食後に全く眠くならないのです。イランの食事は油っぽいし重たいし、それ
に比べて日本の食事は軽いから眠くならないという理由もあると思うのですが、
どんなに食べても眠くならないのには不思議でした。
そんな時、読みかけの本の中に、こんなくだりがありました。
「昼の休憩時間が長いのは、テヘランの街が1200メートルの高地
で気圧が低く、睡眠が深くとれないため、昼寝をしないと体が参っ
てしまうところから来る生活の知恵であり、、、云々、、、」
(『不毛地帯(三)』山崎豊子著)
夫の名誉挽回!?
昼寝をするのは、気圧のせいだったのね〜。
でも、海抜0mの東京でも昼寝をしていたのはなぜ〜?
ま、そういう習慣になっていますから、それをつべこべ言っても仕方ないですね。
で一方、昼寝の習慣のない私の場合、今滞在している場所は海抜600mちょっ
とらしいのですが(テヘランの約半分ですね)、ほんと、不思議です。
全く眠くなりません。夜、熟睡できているということでしょうか。
食べ物の消化吸収に、どれだけの血液が必要になるかということは、眠気に大
きくかかわってくると思うのですが、気圧が低いために睡眠不足となるというこ
とも初めて知って目からうろこでした。
この小説の中でイランのことはあまり出てこないのですが、1979年の革命以前
の王政時代のビジネス環境が伝わってきます。特にオイル関係。一筋縄には
いかないイランのビジネス、実は、革命前からそうだったのね〜と、痛感した次
第です。
小説だから100%そうだったとは言えませんが、この著者は『大地の子』とか『沈
まぬ太陽』(この小説でもイランが登場します。)などでも現地取材をしっかりして
から執筆されることが有名ですので、参考になります。
ただ、イランの場合、昼寝をしただけ、夜、寝るのも遅いという事実がありますか
ら、どこまで気圧が関係しているかは謎です。
9月の中旬にイランへ戻るのですが、日本に戻ってきて感じたイランの摩訶不思
議なこと、いろいろ知りたいと改めて思います。
---クーラーのない部屋で、 「イランの家のほうが涼しい」と嘆くソラでした。
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