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クローズアップ!イラン 「アシュラー祭』

イスラム教の祭事

シーア派のアシュラー祭
普段、路上を我先にと車を走らせ、交通渋滞を作っているイラン人たちが、
この時ばかりは一丸となって盛り上がるアシュラー祭が、私はとても好きだ。
毎晩冷え込む中、アシュラー祭が盛り上がる。
アシュラー祭は、毎年10日ずつ早くなる。が、今年はお正月を下げて、
昨年より2ヶ月ほど早い開催となった。
まあ、10日ずつずれるとして、簡単に考えると、20年ぐらい前は、
アシュラー祭は夏の開催だったことになる。夏のほうが、もっとたくさ
んの人々が外に出て、盛り上がるのだそうだ。
冬のアシュラー祭では、あちこち歩いたり見て回ってる人々にとって、
通りに設置されている紅茶を振舞うテントがとても有難い。

私も夫の妹やその友人達と2,3時間歩いてみた。(写真:右は2人の甥っ子)

  

デジカメを構えて写真をとっていると、紅茶を振舞っているテントから
2人の男性が出てきて、一人は10年、もう一人は13年、日本に住んで
いたという。その日、実家に来るときに使ったタクシーの運転手も
やはり5年間、日本に住んでいた人だった。
日本にいたとか、兄弟が日本人と結婚しているという人が、ほんとに
多い。

で、そのテントからビデオを撮っていた男性も出てきて、3分ぐらい
インタビューをしたいと言うのだが、「ホセインをどう思うか」とか聞くら
しいので、「突然、そんなこと聞かれても、、、」と困った私は、早々に
さよならをして、逃げてきてしまった。(写真)



そして、次のテントでまた写真を撮っていると、今度はテントの中の男性
が、内側に座っている、別の男性の写真を撮ってくれと言う。
一緒にいた高校生の甥っ子が、彼は「アリーが好き」なのだと言う。
アリーとは、この祭の主人公 ホセインの父親である。
なんで、そんなことが分かるのか尋ねると、その帽子と、髭が、その
象徴なのだそうだ。「インターネットで掲載してもいいですか」と甥っ子
に尋ねてもらうと、「うん、うん」とうなずいてくれた。イスラムでは、
インターネットはあまり好ましくないもののはずだから、宗教的に熱心
な感じな人は、ネットに載せられるのは抵抗があると思ったのだが、
そういうものでもないらしい、、、。そして、ついでに名前まで教えてくれた。
この日の私のベストショット!となった。(写真)



そんなこんなで、寒さに震えながら、何百キロもありそうな山車のような
物をかつぐ若者を眺めたりしながら、あちこち歩き回ったのであった。
(写真:これを一人で担ぐのだから、おどろきである!!!
写真右2つは、スィーマさん撮影)

  

時に傾き、そして倒れそうになるのを、周りの仲間が支える。
一歩一歩踏みしめながら、バランスがとれると、足早に10歩ぐらい進む。
でもあまりの重さにそれ以上は続かない。一歩、また一歩とアスファルトの
道路を踏みしめ、ただ必死に進んでいくのである。

トルコ語を話す人々が暮らす、トルキーと呼ばれるアルジェバイジャン州
タブリーズでは、テヘランよりも熱狂的な盛り上がりとなるそうだ。
鎖の代わりに剣を、頭や肩に打ちつけながら練り歩くのだそうで、
もちろんそんなことをしたら、頭や肩から血が流れる。
が、「家に帰ってシャワーをあびると、すっかり治ってしまう。」という逸話を
よく耳にする。
ちなみに、いつのことかは知らないが、イスラム教最高指導者が
「そんなことに血を流すぐらいなら、献血をするように。」との命令も
出したそうだ。
その命令はあまり浸透していないらしく、今でもやはり剣でバシバシ
自分の頭を打ちつけている人たちが多いようだ。テヘランでもそんなことを
している人もいると耳にした。


さて翌日は、実家から大通りに出ようと歩いていたら、子ども達に運ばれる
羊、そしてダステと呼ばれる祭りの一つの集団が路地に入ってきた。
昨年、病気の奥さんが回復するよう、路地にダステを呼び、羊を振舞っ
た男性が、今年は亡くなった奥さんを悼んで、手配したのだった。
私も集団と一緒に後戻りし、男性達が音楽に合わせて、鎖をジャンジャン
肩にぶつけ、音楽とともに、盛り上がっていく様子を、目の前で見ることが
できた。(写真:太鼓を打ち鳴らす若者と、鎖をジャンジャンやってる少年)

 

以前、よく遊んでいた娘の友達が「○○○はどこ?」と尋ねる。
「寝ているよ。」
その子の友達が「あなたの名前は何?」
何度言っても覚えてくれない、、、難しいのだ、日本語の発音。
「イランの名前は?」
「ソライヤ」
そう、私のイラン名はソライヤという。結婚の時に、イスラムにある名前を
つけなくてはならなかった。でも戸籍謄本のようなものも、パスポートも
すべて日本の本名であるが、、、。(写真)

娘の友達

そして実家の向かいに住んでいる家族とも久しぶりに会った。
私が始めてイランに来たときに中学生で、みんなの前で踊りをした
男の子も今は20歳を過ぎ、やはり中学生だった女の子は、結婚して
生後1年ほどの男の子がいる。
その頃、英語の辞書を片手に一生懸命、会話をしようとしてくれた家族で、
私も娘と一緒に、フラッと遊びに行ったりしたものだった。(写真)




そんなこんなで、盛り上がる集団、ホセインの話を叫ぶノーヘカンと呼ばれる
男性の写真を撮ったりしていたら、今度は突然、全員、南を向いて、頭を
さげ、両手を腰の前に差し出して、黙祷のようなものを始めた。
南の方を向いていたのは、ホセイン軍が散ったイラクのキャルバラーの
方角なのだそうだ。だから、実際には南西を向くのが正しいのだと思う。

ノーヘカンの男性は、人々を苦しめていたウマイヤ家から独立するために、
イラクのキャルバラーで、72人で数千人を相手に戦ったホセイン一行の
話を叫ぶ。すすり泣く人もいれば、顔を抑えている人もいる。
私はペルシャ語をあまり理解できないのだけれど、ホセインの母親ファテメ
の名前も叫んでいる。

叫ぶノーヘカン

発電器も一緒に運ぶため、ノーヘカンの男性はマイクロホンで叫ぶのである。
発電器とスピーカーを積んだ荷台のそばにいた私は、その大音響に辟易して
ちょっとだけ、離れてみたが、みんな止まって、神妙に話を聞いているから、
あまり身動きができない。娘の友達も近所の知り合いも離れた場所にる。
斜め前に実家があるのだけれど、玄関前にも人々が立って、神妙にしてい
る。家に入りたくても入れない、、、。
普段は「イラン人は我慢しないんだから、、、」とぼやいている私が、
逆に「日本人は我慢づよくない」なんていわれたら、心外だし。
何十分、突っ立っていたか分からないけれど、体がすっかり冷え切ったときに
終わった。(2月18日)

2月19日、夜の7時ごろから、アシュラーで盛り上がるイラクのキャルバラーで
爆発があり、150人が亡くなったとのニュースが流れ始めた。
キャルバラーは、ホセイン軍72人が戦いで散った場所である。
昨年も最終日にテロがあり、イラン人も含め、たくさんの人々が亡くなった。
最終日は20日である。前日からテロとは、、、。毎年のことらしいが、
それでもキャルバラーに行く人々、、、


2月20日最終日は、朝から行列が出て、昼間にテントを燃やして終わる。
ホセインが死んだ時間帯である。




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